上里見村(読み)かみさとみむら

日本歴史地名大系 「上里見村」の解説

上里見村
かみさとみむら

[現在地名]榛名町上里見

碓氷うすい郡に属し、北はからす川を境に群馬郡室田むろだ村、東は中里見村、西は群馬郡三野倉さんのくら(現倉淵村)、南は山稜境に上秋間かみあきま村・下秋間村(現安中市)など。東西に大戸おおど(信州道)神山かみやま通が通る。字名の神山から神山村と称されることもあった。中世には当地一帯を本拠とした武士に里見氏がいた。「吾妻鏡」治承四年(一一八〇)一二月二二日条によると新田義重の孫に里見義成(里見太郎・里見冠者)がおり、弓馬の名手で、源頼朝の御家人として活躍している。義成の父里見(高林)義俊が里見氏の祖で、里見氏は新田につた高林たかはやし(現太田市)を領した(文永三年七月日「大島六郷注文」正木文書)

宝永八年(一七一一)新田検地帳(榛名町役場蔵)によると、上里見村反別一町余。慶安二年(一六四九)の神山村古今御縄入覚帳(中曾根文書)によると田方四〇町五反余・高九三石余、畑方一一七町五反・高五二三石余、屋敷地八町九反余・高八九石余。寛文郷帳では前橋藩領、田方四五一石余・畑方三六三石余。元禄一四年(一七〇一)の検地帳、同新田検地帳(ともに小板橋文書)によると高は合せて一千一七二石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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