上野山清貢(読み)ウエノヤマ キヨツグ

20世紀日本人名事典 「上野山清貢」の解説

上野山 清貢
ウエノヤマ キヨツグ

大正・昭和期の洋画家



生年
明治23(1890)年6月9日

没年
昭和35(1960)年1月1日

出生地
北海道江別村(現・江別市)

学歴〔年〕
札幌師範図画専科〔明治42年〕卒

経歴
明治45年、23歳の頃から太平洋画会、白馬会系絵画研究所で本格的に絵を始める。大正時代は貧苦の上に妻との死別、帝展連続落選など、苦悩の放浪時代を送るが、有島武郎援助、新しい家庭などを得て、大正13年以降帝展連続入選、昭和5年帝国美術院会員、大家となる。8年旺玄会創立、25年一線美術創立、29年日展委嘱。作品に「パラダイス」「F孃の支那服を纏える」「室内」など。平成元年長男によってその一代記「流転」が上演された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「上野山清貢」の解説

上野山清貢 うえのやま-きよつぐ

1889-1960 大正-昭和時代の洋画家。
明治22年6月9日生まれ。前妻素木(しらき)しづ。大正元年上京し太平洋画会研究所でまなぶ。15年から「パラダイス」「室内」などで,3年連続帝展特選。「わが探鶴阿寒稗史」「ペテカリ雪原の構想」など郷里の北海道を題材とした作品がおおい。昭和35年1月1日死去。70歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「上野山清貢」の解説

上野山 清貢 (うえのやま きよつぐ)

生年月日:1889年6月9日
洋画家
1960年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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