上野庄(読み)うえののしよう

日本歴史地名大系 「上野庄」の解説

上野庄
うえののしよう

知立ちりゆうの東二里、矢作やはぎ(現岡崎市)の北に上野の地名があり、その区域は、上野・鴛鴨おしかも渡刈とがり(現豊田市)の地といわれる。「大日本地名辞書」には後宇多院御領目録を引いて「参河国上野荘を収む」とあり、寛正年中(一四六〇―六六)戸田弾正は三条家を本家としてこの荘の代官であり、のち渥美郡田原たはら(現田原町)へ移った戸田氏の先祖であると記している。

上野庄
うえののしよう

近世、紀伊水道に面した南北に細長い地、熊野街道に沿う地域を称した。平安時代上野牧があったが(為房卿記)、詳細は不明。「続風土記」は津井つい(現日高郡印南町)上野村野島のしま村・楠井くすい村の四村を上野庄とする。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報