出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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野島
のじま
「日本書紀」履中天皇即位前紀には、反逆の手先に使われた野島の海人が登場する。仁徳天皇の死に際し、住吉仲皇子が皇太子去来穂別(のちの履中天皇)の即位に反対して挙兵したとき、阿曇連浜子は「淡路野嶋之海人」を率いて住吉仲皇子に従い、皇太子を追撃する軍に加わった。しかし逆に捕らえられ、履中天皇元年四月一七日阿曇連浜子は黥刑にあい、野島の海人らは大和の蒋代屯倉で役使されたという。海人にちなむ「海部」を称する人々が古代の淡路各地にいたことは、木簡によっても育波郷や安平(阿并)郷などで確認される。
野島
のしま
大津島(現徳山市)の南、周防灘に浮ぶ島で、野島のほか北に平島・沖島がある。三田尻より五里、大津島より三里。徳山藩領に属する。
「地下上申」はこの島について「往古人家無之、大島郡真宗光明寺二男、浪人シテ当島え来り法名本之形チと成、山を開き渡世を送り、此頃迄ハ田畠なきによつて野島と唱へし由、中古大島の百姓八人右之僧を尋来りて田畠をひらき、夫より追々人家余分になり、いつとなく野島ととなへしよし古老申伝候」と記す。
野島
のしま
内海の南部に位置し、その東約二〇〇メートル沖合には野島とよばれる小島がある。小島は現在巾着島とよばれる。「上井覚兼日記」によると、天正一一年(一五八三)八月一七日、宮崎地頭上井覚兼は父薫兼の拠る紫波洲崎に赴いた後、船で野島に渡り鹿狩をするが鹿に出会えず、そのまま野島に泊まっている。同一二年八月二日、覚兼は早朝出航し鵜戸社(現日南市)を参詣、小目井(現同上)に宿泊したが、途中船酔いをした野村大炊兵衛尉を野島に降ろしており、翌日大炊兵衛尉は陸路を経て覚兼らに合流している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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野島
のしま
山口県中南部、防府(ほうふ)市に属し、三田尻(みたじり)港から南東15キロメートルの小島。面積0.73平方キロメートル。近世には都濃(つの)郡に属し、徳山毛利(もうり)藩領で、寛延(かんえん)年間(1748~1751)の記録には家数48、人口210、漁船20とある。大正以降は対馬(つしま)近海や東シナ海への漁業出稼ぎが盛んで、同族意識が強い。現在は周防灘(すおうなだ)を漁場とする小型底引網や一本釣りの漁船が多い。夏は海水浴、キャンプや釣りでにぎわう。2003年(平成15)に野島歴史文化資料館が開館した。三田尻港から連絡船が就航している。人口158(2009)。
[三浦 肇]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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野島(のしま)〔長崎県佐世保市〕
長崎県佐世保市小佐々町、神埼地区の南方に位置する無人島。北九十九島を構成する島のひとつ。同県平戸市にある野島(のじま)とは別の島。
野島(のじま)〔長崎県平戸市〕
長崎県平戸市、木ケ津湾内にある無人島。同県佐世保市にある野島(のしま)とは別の島。
野島〔愛知県〕
愛知県知多郡、篠島の南方約0.8kmに位置する無人島。
野島(のしま)〔愛媛県〕
出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報
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