上平間村(読み)かみひらまむら

日本歴史地名大系 「上平間村」の解説

上平間村
かみひらまむら

[現在地名]中原区上平間・田尻たじり町・北谷きたや

東を多摩川が流れ、西は鹿島田かしまだ村・市坪いちのつぼ村、南は下平間しもひらま(現幸区)、北は中丸子なかまりこ村に接する。川崎用水が市坪村から入り下平間村へ達する。古川ふるかわ本村ほんむら北村きたむら大村おおむらなどの小字がある。「吾妻鏡」康元元年(一二五六)六月二日条の、幕府が奥大道の警固を命じた人々のなかに「平間郷地頭」がみえる。小田原衆所領役帳には太田大膳亮「一貫八百文 稲毛平間」とある。田園簿に「上平間村」とある。

近世は初め幕府直轄領、寛文四年(一六六四)四月久世領、その後幕府直轄領に復し幕末に至る。延享四年(一七四七)の稲毛川崎用水通田反別堰々諸色人足一件(横浜市添田文書)によれば田三九町余のうち七反余が畑成川欠砂入、畑一三町三反余のうち二町五反余が川欠砂入と記される。

上平間村
かみひらまむら

[現在地名]伊勢原市上平間・桜台さくらだい五丁目

北は沼目ぬまめ村、東は小鍋島こなべしま(現平塚市)に接し、南の下平間村と村境が錯雑する。大山道・中原なかはら道が通る。小田原衆所領役帳に深井「六拾七貫六十八文 中郡平間郷」とある。元禄郷帳に「上平間村」とみえる。寛永一〇年(一六三三)に旗本宇都野領。元禄一一年(一六九八)五月の大磯・平塚両宿助郷役平均願(県史九)によれば大磯宿・平塚宿の大助郷を勤める当村など三四ヵ村が、困窮を理由に中郡全域の村へ助郷役を課するよう願出ている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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