火雷神社
ほのいかずちじんじや
[現在地名]玉村町下之宮
下之宮集落の北東部、利根川右岸の字宮東に位置する。通称は「カライ」神社。旧郷社。祭神は火雷命。現多野郡上野村泉龍寺蔵の大般若経巻五七八の奥書には「大雷之神 下ノ宮火雷社」とある。「延喜式」神名帳の那波郡に載る「火 雷神社」に比定される。延暦一五年(七九六)に官社となった(「日本後紀」同年八月一六日条)。長元三年(一〇三〇)の「交替実録帳」には「正二位火雷明神社」とみえ、総社本「上野国神名帳」には鎮守の項に「従一位火雷大明神」とある。赤木文庫本「神道集」に「八ノ宮ヲハ那波ノ上ノ宮火雷神ト申、本地ハ虚空蔵菩薩也」とあり、上ノ宮と下ノ宮の混乱がみられる。
火雷神社
ほのいかずちじんじや
[現在地名]五條市御山町
吉野川と丹生川の合流点南方に鎮座。祭神火雷神。旧村社。俗に「若宮さん」と称し、「延喜式」神名帳の宇智郡「火雷神社」に比定される。式内火雷神社は天安三年(八五九)四月一〇日に正四位上から従三位に、元慶三年(八七九)六月八日には正三位に昇叙(三代実録)。式内社について「大和志」は「在御山村亦称雷神」とするが、度会延経「神名帳考証」は「火打野村、火産霊命」とする。宇智郡内には雷神を祀ったと思われる式内社「宮前霹靂神社」があるところから、当社も雷神を祀ったものであろう。なお現五條市霊安寺町御霊神社の長禄二年(一四五八)の「霊安寺御霊大明神略縁起」には、「雷神ハ、井上ノ皇后ノ御腹ノ第三ノ御子ニテマシマス。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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