朝日日本歴史人物事典 「下佐谷村助六」の解説
下佐谷村助六
生年:生年不詳
江戸中期の百姓一揆の指導者,義民。常陸国(茨城県)新治郡本堂氏知行所下佐谷村の百姓代(名主とも)で与惣左衛門ともいった。助六らは領主役所の志筑陣屋の非政を訴えて高札場に貼紙をし,嶋木原に結集した25村の百姓らの頭取となって,安永7(1778)年12月28日に江戸の領主屋敷に押しかけ強訴した。領主は村役人を逮捕したが,百姓らはさらに領内各地で集会し騒ぎ立てたため,領主は首謀者らの一斉逮捕に踏み切り,吟味の結果助六が獄門,多数が処罰された。これを助六一揆という。助六は,義民として祭られ,現地には墓碑(一念寺),首塚(子孫福田家),助六地蔵(閑居山)などがあり,助六地蔵祭や助六百年祭なども挙行されている。<参考文献>『千代田村史』
(斎藤善之)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報