日本歴史地名大系 「下助任村」の解説 下助任村しもすけとうむら 徳島県:徳島市旧名東郡地区下助任村[現在地名]徳島市下助任町一―五丁目・助任本町(すけとうほんちよう)一―七丁目・吉野本町(よしのほんちよう)一―六丁目・上吉野町(かみよしのちよう)一―三丁目・中吉野町(なかよしのちよう)一―四丁目・東吉野町(ひがしよしのちよう)一―三丁目・中前川町(なかまえがわちよう)一―五丁目・北前川町(きたまえがわちよう)一―五丁目住吉島(すみよしじま)の北西、吉野川(別宮口)河口部南岸にある。東部を大岡(おおか)川が東流、西方を新町(しんまち)川が南流する。下道(下板街道)が南北に通る。建仁三年(一二〇三)一一月日の春日社政所下文案(春日大社文書)にみえる名東郡南助任の遺称地。西方の上助任村などと合せた渭北(いほく)地区を総称して助任ともいう。徳島城域とは南の助任川を挟んで相対するため、広範囲が城下の武家地前川・助任・大岡に分れ、淡路街道沿いに町人地の助任町・助任郷町も成立した。村方は北部吉野川(別宮口)沿いを占める。慶長期(一五九六―一六一五)のものと推定される国絵図に下助任とみえる。正保国絵図には下助任村とあり、高四二五石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by