下小倉村(読み)しもこぐらむら

日本歴史地名大系 「下小倉村」の解説

下小倉村
しもこぐらむら

[現在地名]上河内村下小倉、塩谷郡氏家うじいえ向河原むこうがわら

上小倉村の南、鬼怒川右岸に位置し、西部を西鬼怒川が南流する。近世には西鬼怒川に宇都宮藩御用材の筏流しの河岸が設けられていた。宇都宮氏旧臣姓名書に下小倉村の大桶姓二名・亀田姓一名がみえる。大桶氏は中世末に那須郡より移り、宇都宮氏に仕え小倉郷を拝領し大桶館を構えたという。のち帰農し、久左衛門を名乗り代代当村の庄屋を勤めた。同家の菩提寺浄土宗清泉せいせん寺は、由緒書では応永年間(一三九四―一四二八)創建を伝える。

近世は初め宇都宮藩領、寛延二年(一七四九)下総佐倉藩領。

下小倉村
しもおぐらむら

[現在地名]柏原町下小倉

北は見長みなが村と境を接し、南西玉巻たまき坂を経て玉巻村(現山南町)、南の篠場ささば坂を越えると下滝しもたき村枝郷の笹葉ささば(現同上)石舟いわふね坂を越えると北太田きたおおだ(現同上)に通じる。中世小椋おぐら庄の遺称地。天正一九年(一五九一)八月二日の豊臣秀吉領知朱印状(小川文書)に「氷上郡小倉村」がみえ、小川長保が当村のうち三五〇石の領知を命じられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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