下小塙村(読み)しもこばなむら

日本歴史地名大系 「下小塙村」の解説

下小塙村
しもこばなむら

[現在地名]楢葉町下小塙

東は前原まえばら村、南は山田岡やまだおか村、北は上小塙村に囲まれ、村内を浜街道が通る。もと小塙村の内で、慶長一三年(一六〇八)の岩城領分定納帳(内藤家文書)では下小塙村の村名はあるが、「高上小塙村之内」とされる。正保郷帳にも上小塙村はあるが、下小塙村の名は記されない。明暦三年(一六五七)の高四六四石余(「村々検地書上帳」内藤家文書)元禄郷帳では下小塙村は高五六二石余、北田内きたたうち村は高一四七石余。天保郷帳では「古者 下小塙村・北田内村弐ケ村」と注記される。近世領主は磐城平藩領から延享四年(一七四七)幕府領となる。同年の村明細帳(内藤家文書)には田四三町五反余、家数八四・人数三〇六、馬四一とある。


下小塙村
しもこばなむら

[現在地名]高崎市下小塙町

群馬郡に属し、上小塙村の西南にある。東は上並榎かみなみえ村・筑縄つくなわ村、西南はからす川を挟んで碓氷うすい豊岡とよおか村。元和五年(一六一九)安藤対馬守殿御領分高覚帳(東大史料編纂所蔵)では西郷に村名がみえ(高崎藩領)。高六一二石余、田方五三町一反余・畑方八町三反余。同藩領についての明治二年(一八六九)家数人数取調帳(小島文書)によると、天明三年(一七八三)の家数一一六・人数四一八。江戸後期の御改革組合村高帳では家数七三。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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