20世紀日本人名事典 「下川凹天」の解説
下川 凹天
シモカワ ヘコテン
大正・昭和期の漫画家
- 生年
- 明治25(1892)年5月2日
- 没年
- 昭和48(1973)年5月26日
- 出生地
- 鹿児島県(奄美大島)
- 本名
- 下川 貞矩
- 学歴〔年〕
- 青山学院〔明治40年〕中退
- 経歴
- 北沢楽天の書生となり、「楽天パック」でデビュー。「東京パック」などに似顔絵、女性風俗漫画を描き、大正5年有名人の肖像を描いた「ポンチ肖像」を刊行、昭和5年「読売サンデー漫画」に「男やもめの巌さん」を連載、人気を博す。昭和の初年に「毎夕新聞」に女給・ダンサー・娼婦などの風俗画を描いて、漫画発禁第1号になったことで知られる。戦後は「日本漫画新聞」などを出している。一方、大正6年動画フィルム「芋川椋二・玄関番の巻」を作り、漫画映画の先駆けとなった。平成9年埼玉県で肉筆原稿など、大量の資料が発見された。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報