下戸村(読み)おりとむら

日本歴史地名大系 「下戸村」の解説

下戸村
おりとむら

[現在地名]相川町下戸町・下戸浜おりとはま町・下戸炭屋おりとすみや町・下戸炭屋浜おりとすみやはま町・下戸炭屋裏おりとすみやうら

相川町の南端部。北は小仏おぼとけ川、南は海士町あままち川を村境とする。宝暦九年(一七五九)の居屋舗分見軒役明細墨引(林伊三郎家蔵)に「慶長年中、川村彦左衛門吉久御検地之節、折戸・羽田村ト別レ、野山入会ニテ、其頃ヨリ境有増定ルト云」とあり、慶長五年(一六〇〇)の一国検地の頃、羽田はねだ村から分村したといわれる。


下戸村
さげどむら

[現在地名]我孫子市下ケ戸さげと天王台てんのうだい二―三丁目・同六丁目・東我孫子ひがしあびこ一―二丁目・柴崎台しばさきだい五丁目

青山あおやま村の南、我孫子村の東にあり、成田方面に向かう道沿いに集落が営まれる。相馬そうま御厨黒崎くろさき郷の発戸ふんと村に由来する地名と考えられる。「本土寺過去帳」によれば、天文一六年(一五四七)妙住尼が「提土」で没している。元和二年(一六一六)旗本本多領になったとされ、寛永二年(一六二五)の本多氏宛知行宛行状(倉科家文書)に下戸村一七八石余とある。同氏は元禄元年(一六八八)に加増されて大名となり、同一三年頃の下総国各村級分では同氏領として高一七八石余。村名に「サゲド」の訓を記す。のち同氏の移封に伴い同一六年には上野沼田藩領となる。


下戸村
しもとむら

[現在地名]竹田市次倉つぎくら

くち川南岸にあり、北東長迫ながさこ村、西は小川おがわ村。正保郷帳では次倉郷に属し、田方七一石余・畑方六〇石余で、茅山有と注記される。弘化物成帳では次倉組のうち、村位は中、免七ツ、田八〇石余(八町二反余)・畑七五石余(一三町八反余)・屋敷四石余(四反余)で、開田一石余(五反余)・開畑四石余(六町八反余)がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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