下才原村(読み)しもさいばらむら

日本歴史地名大系 「下才原村」の解説

下才原村
しもさいばらむら

[現在地名]奥津町下斎原しもさいばら

吉井川に沿って立地し、北は上才原村(現上齋原村)、南は長藤ながとう村、東は西北条さいほくじよう越畑こしはた(現鏡野町)正保郷帳に高一四一石余、うち田方一二七石余・畑方一四石余とある。「作陽誌」では家数三一・人数一七八。元禄一〇年(一六九七)美作国郡村高辻帳の改出高四四石余・開高三六石余。村名は「美作鬢鏡」、郷中御条目(津山郷土博物館蔵)では下斎原村と表記する。享保一一年(一七二六)津山藩減封により幕府領となり、延享二年(一七四五)から宝暦四年(一七五四)の間因幡国鳥取藩預地、幕府直轄に戻り、天明七年(一七八七)から寛政一一年(一七九九)の間下総国佐倉藩領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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