吉井川(読み)ヨシイガワ

デジタル大辞泉 「吉井川」の意味・読み・例文・類語

よしい‐がわ〔よしゐがは〕【吉井川】

岡山県東部を流れる川。鳥取県境の中国山地三国みくに山に源を発して南流し、岡山市西大寺児島湾に注ぐ。長さ133キロ。上流域は人形峠東方の恩原高原。津山盆地加茂川を合わせ、さらに吉野川と合流し岡山平野の東部を流れる。上流部は発電に、下流部は灌漑かんがいに利用される。近世、高瀬舟による水運が活発だった。

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日本歴史地名大系 「吉井川」の解説

吉井川
よしいがわ

県の三大河川のうち東端を流れる。全長一三三キロ、流域面積二〇六〇平方キロ。一級河川。源を苫田とまた郡北隅の上齋原かみさいばら村に発し、南流して岡山市西大寺さいだいじにおいて瀬戸内海に注ぐ。この間、上流部では津山盆地を東流して、加茂かも川をはじめ中国山地に源をもつ幾つかの支流を合せ、中流部の峡谷を貫流して南東に方向を転じ、久米くめ柵原やなはら飯岡ゆうか吉野よしの川を、さらに和気わけ和気町和気で金剛こんごう川を合せて南西に転じ、小野田おのだ川を合せ、下流部の邑久おく郡および岡山市東部の大平野を経て、河口付近で干田ほした川を合せる。

西大寺の門前町の前を流れるところから西大寺川とよばれたこともあったが、備前国の西の大川である旭川に対して東の大川とよばれた。嘉祥三年(八五〇)備前国磐梨いわなし郡少領石生別公長貞が、郡下の「石生郷雄神河」で白亀一枚をとった記事が「文徳実録」同年八月一一日条に記される。この雄神おがみ川は吉井川の旧称で、右岸に明治二二年(一八八九)雄神村(現岡山市)が成立している。なお、上流部の津山付近ではにしき川・津山川・川とよばれていた(津山誌)。津山には中世富川とがわ村と称し、物資集散地の富川宿・富川市が成立していた。津山市戸川とがわ町は富川が同音の戸川に変わったものであるといわれている。

〔流路の変遷と河口の干拓〕

雄神川とよばれたのは、くぼ八幡の鎮座する雄神村の丘陵の北を回って西に出る流路がかつてあったことによると思われる。当時この丘陵と西のいたち山および蛸干たこぼし(以上現岡山市)の小山を挟んで、東西ともに入江が浸入していたことが考えられる。天平一九年(七四七)の大安寺伽藍縁起并流記資財帳(文化庁蔵)には寺領として「上道郡五十町 大邑良葦原 東山守江 西石間江 南海 北山」とあり、「岡山市史」は、岡山市の大多羅おおだら松崎まつざき広谷ひろたに浅越あさごえなどを連ねた当時の海岸線付近にあたるとする。また「山守江」は雄神村に含まれた山守やもりにかけて湾入している入江のこと、「石間江」は同市米田よねだ辺へ海が入込んでいたもので、米田に含まれる近世の村に岩間いわま当摩たいまがあり、岩間は「石間江」からとった村名であると述べている。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「吉井川」の意味・わかりやすい解説

吉井川
よしいがわ

岡山県の三大河川の一つ。一級河川。鳥取県境の中国山地三国(みくに)山(1252メートル)に発し、津山盆地で加茂(かも)川と合流、吉備(きび)高原を下刻して南下し吉野川と合流し、吉備高原を出た所で金剛(こんごう)川をあわせ、岡山平野東部を流れて児島(こじま)湾に注ぐ。延長133キロメートル、流域面積2110平方キロメートル。古くは雄神川(おがみがわ)、和気川(わけがわ)、近世以後は東大川(ひがしおおかわ)、吉井川とよばれた。1607年(慶長12)に角倉了以(すみのくらりょうい)が美作(みまさか)和気川の舟運盛行をみて、河川交通の発達に尽くした史実から、古くより高瀬舟交通が発達していたことが知られる。津山盆地と岡山城下を結ぶ交通の大動脈で、川筋には津山、長岡(久米(くめ)郡美咲(みさき)町栗子(くりご))、飯岡(ゆうか)(美咲町)、倉敷(くらしき)(美作市林野(はやしの))、周匝(すさい)(赤磐(あかいわ)市)、田原(和気郡和気町)などの河港があり、番所も所々に設けられた。舟運は昭和初期の中国鉄道(JR津山線)の敷設まで続いた。現在、主として農業用水に利用され、下流に田原井堰(たはらいぜき)、板根井堰があって、田原用水、邑久(おく)の大(おお)用水、倉安川などの大灌漑(かんがい)用水路がつくられた。過去に何度か大水害を起こし、第二次世界大戦以後、建設省(現、国土交通省)によって大規模な改修工事がなされた。本流にはダムがなかったが、2005年(平成17)上流の鏡野町に苫田ダム(とまただむ)が完成し、奥津湖が誕生した。

[由比浜省吾]


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百科事典マイペディア 「吉井川」の意味・わかりやすい解説

吉井川【よしいがわ】

岡山県東部の川。長さ133km,流域面積2060km2。中国山地の三国山に発して南流,津山盆地で加茂川を合わせ,吉備(きび)高原を南流して,吉井町(現・赤磐市)で吉野川,和気町で金剛川を合流,岡山市西大寺の南で児島湾に注ぐ。鉄道開通前は高瀬舟の舟運が盛んで,年貢米・鉄・たばこ・塩・薪・炭などを上下した。上流部は発電,下流部は灌漑(かんがい)に利用。河口付近は干拓水田地帯。
→関連項目岡山[県]岡山平野奥津[町]長船[町]熊山[町]佐伯[町]瀬戸[町]津山盆地東[区]福岡市福岡荘美作[町]柵原[町]湯郷[温泉]吉井[町]

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改訂新版 世界大百科事典 「吉井川」の意味・わかりやすい解説

吉井川 (よしいがわ)

岡山県東部の川。旭川,高梁(たかはし)川とともに県の三大河川の一つで,県東部の大半をその流域とする。幹川流路延長133km,全流域面積2060km2。中国山地の三国山(1213m)に源を発し,津山盆地で加茂川を合わせ,吉備高原を流下する途中,赤磐市で大支流の吉野川と合流,さらに和気(わけ)町で金剛川と合流して岡山平野に出,児島湾に注ぐ。古くは雄神(おがみ)川,和気川,また近世以後は東大(ひがしおお)川,吉井川と呼ばれた。

 三大河川の中で最もこう配がゆるく,高瀬舟による水運が早くから発達し,角倉了以はこの川の舟運を見て他地方の河川交通を開発する範としたといわれる。津山,長岡(現,美咲町栗子),倉敷(現,美作(みまさか)市林野),飯岡(ゆうか)(現,美咲町),周匝(すさい)(現,赤磐市),田原(現,和気町)などに船頭集落があり,所々に番所も置かれていた。河口では西大寺(岡山市)が重要な港であった。下流では田原堰や坂根堰により農業用水が岡山平野に導かれた。支流に黒木ダムなど中小規模のダムがあり,本流では苫田ダムの建設が進められている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「吉井川」の意味・わかりやすい解説

吉井川
よしいがわ

岡山県東部の川,県北端の鏡野町上齋原に発し,南流して児島湾に注ぐ。全長 136km。中国山地では奥津渓などの峡谷を刻み,津山盆地久米川,皿川,加茂川などを合流したのち,吉備高原の東部を貫流しつつ,最大の支流吉野川を合わせ,和気 (岡山県和気町) 付近で岡山平野に出て,のち児島湾に注ぐ。古くから美作と備前を結ぶ重要な水路で,近世角倉了以は吉井川の高瀬舟を見習って底の浅い舟が通行できる運河として,京都に高瀬川を掘ったといわれる。舟運の遡航の上限は本流では津山,支流吉野川では美作倉敷 (美作市林野) 。岡山市西大寺地区の金岡,その上流の和気など多くの河港や船頭集落が発達した。 1931年片上鉄道の開通により舟運は終わりを告げた。上流部は発電所,下流部には田原用水をはじめ岡山平野を灌漑する大規模用水の取水堰がある。

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世界大百科事典(旧版)内の吉井川の言及

【福岡市】より

…中世備前国福岡荘内に成立した市場。福岡荘は吉井川の河口に近く船の遡上が可能で,山陽道との交点に当たることから備前南部の物資集散の要衝となった。米,材木のほか,吉井,長船(おさふね),福岡の備前刀,香登(かがと),伊部(いんべ)の備前焼などの取引が行われ,その繁栄のようすは《一遍聖絵(いつぺんひじりえ)》や,今川了俊の《道ゆきぶり》にも描かれて,全国的にも著名な市であった。…

※「吉井川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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