下星川村(読み)しもほしかわむら

日本歴史地名大系 「下星川村」の解説

下星川村
しもほしかわむら

[現在地名]保土ヶ谷区星川ほしかわ一―三丁目・明神台みようじんだい花見台はなみだいさくらおか

東は帷子かたびら川を隔て帷子町、南は神戸ごうど町・保土ヶ谷町、西は仏向ぶつこう村、北は帷子川を隔てて和田わだ村に接する。北東帷子川に沿って水田が広がる。

都筑つづき上星川村とともに「和名抄」の久良くらき郡星川郷の遺称地とされる。小田原衆所領役帳に六郷殿「卅四貫九百四拾文 小机筋星川夏成共」「卅二貫文 同向星川」とあり、星川・向星川と二分されるが、当村・上星川村とのかかわりは不詳。

近世は幕府直轄領。元禄八年(一六九五)九月の検地帳(保土ヶ谷区郷土史)では田二〇町九反余、畑屋敷五〇町七反余、藪一町余、居山一六町七反余、芝山一二町三反余である。


下星川村
しもほしかわむら

[現在地名]酒田大豊田おおとよだ

中星川村の北西、荒瀬川左岸にあり、新田目あらため堰が西流する。下星河村とも記された。慶長一六年(一六一一)検地帳(飽海郡誌)では高六七石余。元和二年(一六一六)興目検地帳(同書)に一石余の開墾が載る。同八年の酒井氏知行目録では高一八石余と一二石余、ほかに当村五郎左衛門分として一六一石余、仁助分として一五九石余。寛永元年庄内高辻帳では高三五七石余。正保三年(一六四六)の庄内三郡左沢浮役帳によると荒瀬川の居繰一網鮭四尺二分の代として銀一四匁七分。貞享四年(一六八七)には草刈地の鷹尾たかお山山札一五枚を所有し、米三斗を納めた(「鷹尾山新古留帳」相馬文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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