下杠山村(読み)しもゆずりはやまむら

日本歴史地名大系 「下杠山村」の解説

下杠山村
しもゆずりはやまむら

[現在地名]三瀬村大字杠字中谷なかたに落合おちあい

三瀬峠に通じる三瀬山道の西南部、高瀬たかせ川沿いに発達した盆地にある。昭和三二年(一九五七)完成の北山ほくざんダムのため丸田まるた明神原みようじんばるの集落は水没した。

村に残る野波のなみ神社の鐘銘に「肥前州神崎郡杠山当社七山宗廟 野波神御宝前鐘一口 時 文明四 六月吉日」と記されている。阿波国の武士杠日向守がこの地に来着したのは嘉吉二年(一四四二)といわれ、この時淡路国から弓絃葉ゆずりは権現を奉供し、肥前北部の山地山内さんない野波の里で野波神社の氏子を領民としてこの一帯を支配するようになった。杠氏は乙宮おとぐう権現を建立して氏神として祀るとともに、当時七山ななざん(杠・関屋・小副川・菖蒲・畑瀬・松瀬・名尾)の宗廟として崇敬された野波神社を宗社と定め、土地五町歩を寄進して祭事を営んだ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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