日本歴史地名大系 「下桜井村」の解説 下桜井村しもざくらいむら 長野県:佐久市野沢地区下桜井村[現在地名]佐久市大字桜井南は小宮山(こみやま)村、西は下平(しもだいら)村・今岡(いまおか)村といずれも片貝(かたかい)川を隔てて対し、東には南から中桜井村・桜井新田村、北は千曲川を隔てて今井(いまい)村に対する。中桜井村から西進してきた富岡(とみおか)道(現国道二五四号)は、片貝川を渡ると右折して今岡村へ抜ける。集落はこの道の北に開け、周囲は水田地帯である。元和八年(一六二二)の佐久郡高書上帳(柳沢文書)には桜井村とのみ記されるので、この間に桜井村より分村したものと思われる。 下桜井村しもさくらいむら 茨城県:北茨城市下桜井村[現在地名]北茨城市中郷(なかごう)町下桜井大北(おおきた)川下流の右岸に位置し、東は海に臨み、北は臼庭(うすば)村。東西九町余・南北二二町余の平地の村で、岩城相馬(いわきそうま)街道の宿であった。「松岡地理志」に「海ニ属シタル村ナレトモ漁業ナシ元ハ上桜井ト一村也元和八年壬戌桜井村ノ内高四百石許リ分ケ砂原ノ地ヘ人数十八人ニテ居家ヲ造リ桜井新田トモ又ハ足洗新田トモ云シヨシ五七年ヲ経テ二人断滅ス十六人ニテ石割田畠高二十三石余宛耕作ス寛永十八年辛巳縄入ル高三百六十石余ニナル人別モ追々過シ二十七人ニナル寛文十二年壬子ヨリ上下二村ニ分ル」とある。寛永一二年(一六三五)の水戸領郷高帳先高に「桜井村」とあり、元禄郷帳に「下桜井村」とみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by