下毛野古麻呂(読み)しもつけぬのこまろ

改訂新版 世界大百科事典 「下毛野古麻呂」の意味・わかりやすい解説

下毛野古麻呂 (しもつけぬのこまろ)
生没年:?-709(和銅2)

古代の官人。子麻呂とも書く。下毛野朝臣は崇神天皇の皇子豊城入彦命の後裔と称する雄族だが,古麻呂の系譜未詳。689年(持統3)に所有する奴婢600人の解放を願って許されたことが《日本書紀》にみえる。このころの経歴も明らかではないが,隋や唐の律令を深く学んだようで,その後大宝律令撰定に参画し,藤原不比等,粟田真人らとともに,その中心となって活躍した。701年(大宝1)3月に大宝令の一部が施行されると,その翌月古麻呂は右大弁として諸王・諸臣に同令を講じている。こうした功績により,703年に功田30町,功封150戸が与えられた。その間702年には朝政を参議する準議政官となり,その後も兵部卿および式部卿という全官人の人事をつかさどる要職にあって,大宝律令の施行に努力し,式部卿の現職のまま没した。ときに位階は正四位下であった。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「下毛野古麻呂」の解説

下毛野古麻呂 しもつけのの-こまろ

?-710* 飛鳥(あすか)時代官吏
「大宝律令(りつりょう)」の撰定に藤原不比等(ふひと)らと中心的な役割をはたす。文武天皇4年(700)功により禄(ろく)をあたえられ,大宝元年親王,諸臣らに新令を講じた。のち兵部卿(ひょうぶきょう),式部卿にすすむ。和銅2年12月20日死去。名は子麻呂ともかく。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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