下竹原郷(読み)しもたかわらごう

日本歴史地名大系 「下竹原郷」の解説

下竹原郷
しもたかわらごう

[現在地名]阿蘇町竹原

元徳元年(一三二九)から始まる阿蘇社の造営当地も料木を負担している(同二年一月一四日「阿蘇社造営料木第三箇度切符写」など、阿蘇家文書)。建武三年(一三三六)三月一一日の阿蘇社領郷村注文写(同文書)には、下田常陸介が郷沙汰人である西郷中の小郷として「一所五町 下竹原郷」とある。至徳二年(一三八五)八月七日の阿蘇社領郷々注文(同文書)には「一所しもたかわら 一けふん」とあり、一家すなわち一〇町分のうち一町七反四丈は「御まいてん」、五町は南郷の武家方大宮司惟村および「なかゝ」の代官として五大夫が知行し、四分一は「かちひやうへたらう御おん」で、一〇分一は上竹原郷にあるとみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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