下肝川村
しもきもがわむら
広根村の南東、猪名川支流肝川流域の丘陵地にあり、北は猪淵村。中世は多田庄に含まれ、南西の上肝川村とともに肝河村とよばれた。慶長国絵図に「肝川村」とみえ、高一三一石余。正保郷帳でも肝川村一村で高一四三石余。天和三年(一六八三)頃の摂津国御料私領村高帳では二村に分立しており、下肝川村の高一〇一石余。領主の変遷は広根村と同様と考えられる。延宝七年(一六七九)の下肝川村検地帳(前田家文書)によれば新検高一〇〇石余であるが、文禄三年(一五九四)の古検高一〇一石余のうち二三石余が「山崩川欠地なし」で、慶長元年(一五九六)と承応二年(一六五三)の水害によるという。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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