下落合村(読み)しもおちあいむら

日本歴史地名大系 「下落合村」の解説

下落合村
しもおちあいむら

[現在地名]与野市下落合二―七丁目・下落合

赤山あかやま街道を境に上落合村の南に位置し、西は南流する高沼こうぬま排水路を境として与野町。与野領に属した(風土記稿)。寛永二年(一六二五)九月中川市右衛門尉(忠次)は徳川氏から「落合郷」で一八二石を宛行われた(記録御用所本古文書)。田園簿によれば田三四七石余・畑八五石余で、旗本中川領(一八二石余)・同小島領(一三〇石)・同朝比奈領(一二〇石)の三給。中川領・朝比奈領は幕末まで変わらなかった(旧旗下相知行調など)。小島領は寛文一〇年(一六七〇)幕府領となり、同一三年検地が行われたと伝える(明治一九年「下落合村風損跡手引」辻村家文書)


下落合村
しもおちあいむら

[現在地名]新宿区下落合一―四丁目・中落合なかおちあい一―四丁目・中井なかい一―二丁目など

上落合村・上戸塚かみとつか村の北にあり、北は長崎ながさき(現豊島区)、東は下高田しもたかだ村、西は多摩郡上高田村(現中野区)神田上水(神田川)が村の南を流れ、村内東部に田嶋たじま橋が架かる。この橋を渡る道を南下すると馬場下通に続き、西行すると七曲ななまがり坂・西にし坂に続く。村の北部を東西に雑司ヶ谷ぞうしがや通が通る。神田上水沿いに田が広がるが、中央部・北部は台地上に位置する。田園簿では田高一五〇石余・畑高四七石余、うち一八二石余は大田新左衛門知行、一四石余は幕府領。のちに幕府領分は小石川祥雲しよううん寺領となり、「風土記稿」では同寺領と大田領の相給。


下落合村
しもおちあいむら

[現在地名]伊勢原市下落合

大住おおすみ郡の北東端にあり、東の愛甲あいこう郡境をたま川が流れる。北は石田いしだ村、西は見付島みつけじま村、南は小稲葉こいなば村に接する。大山道が東西に通る。天正一八年(一五九〇)五月の豊臣秀吉禁制(県史三)に「相模国大中郡内落合郷」とみえる。正保国絵図には「下落合」とある。明和五年(一七六八)に旗本竹本・小幡・加藤・尾崎・土岐・木村領の六給。平塚宿の大助郷を勤め、享保三年(一七一八)の助郷高七四石(「平塚宿助郷帳」県史九)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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