日本歴史地名大系 「下谷ヶ地村」の解説 下谷ヶ地村しもやがちむら 福島県:大沼郡会津高田町下谷ヶ地村[現在地名]会津高田町松坂(まつざか)宮(みや)川上流左岸、博士(はかせ)山の天狗(てんぐ)岩を源流とする博士川と宮川の合流点にあり、北は牧内(まぎのうち)村、南東は中在家(なかざいけ)村。山麓を開いた土地のため、水田は皆無である。近世は会津領から寛永二〇年(一六四三)以降南山御蔵入領で、冑組に属した。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録に下屋加地とあり、高四八石余。文化一五年(一八一八)の南山御蔵入領組村高帳では高四八石余。化政期の家数一六(新編会津風土記)。明治四年(一八七一)の家数二二・人数一一四(人員録)。同八年中在家村・中(なか)村・入谷(いりや)ヶ地(ち)村と合併して松坂村となる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by