日本大百科全書(ニッポニカ)「山菜」の解説
山菜
さんさい
山野に自生している草本や木の若芽などで食用になるものをいう。昔の日本では、野菜類として栽培されるものは少なく、多くが山菜を野菜がわりに利用していたと思われる。山菜を主として調理したものを山菜料理とよんでいる。しかし現在では、もともとは山菜であったものの多くが栽培によってつくられ、これを山菜として販売している場合も多い。山菜としては、春の七草に数えられるセリ、ナズナ、オギョウ、ハコベ、ホトケノザをはじめ、ヨメナ、フキ、ふきのとう、ツワブキ、カタクリ、ヤマウド、ノビル、コゴミ、ゼンマイ、ワラビ、つくし、ミズ、ジュンサイ、イタドリ、たらのめ、ヨモギ、ハマボウフウ、スベリヒユ、アシタバ、ウコギ、オカヒジキなどがあり、このほか、各種のキノコの野生種や、シノダケのたけのこ、ササのたけのこなども山菜として扱われる。
[河野友美]
歴史
山菜としてとくに区別せずに、昔は必要な食料として食べていたと考えられる。現在も東北地方では、春先に各種の山菜を野菜として食している。野菜が本格的に栽培されるようになったのは室町時代ころからといわれ、山菜として分けるようになったのは、野菜の栽培が盛んになってからと考えてよい。また、栽培種ではあっても、春の七草にスズナ(カブ)、スズシロ(ダイコン)が含まれているので、これらも野草の仲間であったとも考えられる。『万葉集』巻1に、「この丘に 菜摘(なつ)ます児(こ)」と詠まれているように、山菜は古くから日常食として食事に取り入れられてきた。平安時代には、大宮人は正月子(ね)の日に天皇の行幸を得て若菜摘みをする習慣があり、光孝(こうこう)天皇(830―887)は、「君がため春の野に出でて若菜摘むわが衣手に雪は降りつつ」と摘み草の情景を詠んでいる。これも野草が野菜がわりであったと推定できる一例である。近年は、栽培種の野菜も人工的な方法が多く取り入れられたため、自然を求める志向から、山菜に興味がもたれている。そのため、需要を満たすため野草を栽培し、大規模に供給されるようになり、セリなどのように、とくに野草というよりは野菜として仲間入りしているものも増えてきている。
[河野友美]
料理
山菜にはあくを強くもったものがあり、いったんゆでて水ざらしをしてから使用したほうがよいものが多い。あくが残っていると渋味などの不快な味が残り、味のよい山菜料理をつくることができない。しかし、一方では、あくを抜きすぎて風味がなくなることもあるので、適度にあく抜きをする必要がある。とくにあくの強いヨモギ、ワラビなどでは、木灰を加えてゆでることも行う。木灰がないときは重曹を用いてもよいが、アルカリが強いので、使い方がよくないと、山菜が溶けてしまうことがある。ヨモギの場合は、ゆでてから火を止め、少量の重曹を加え、そのまま30分ほど放置してから水ざらしをするとよい。ワラビでは、木灰を直接ワラビの上にふり、熱湯をかけて冷めるまでおいたあと水でさらし、あく抜きをする。または重曹を溶かした熱湯をかけて半日ほどおき水でさらす。フキは、皮をむき、水でよくさらしてあくを抜いてから調理する。
料理の種類としては、野菜と同様、和(あ)え物、炒(いた)め物、揚げ物、汁物、鍋(なべ)物など各種の料理に使用できる。和え物では、ゆでた野草をゴマ、クルミなどで和えたり、ぬたにする。揚げ物では、てんぷらがよい。鍋物では、香りのよいものを用い、他の材料とともに鍋にする。七草粥(がゆ)のように粥に炊き込んでもよい。また、ワラビ、キノコ、コゴミなどを使用した山菜ご飯のような炊き込み飯もできる。加工品としてはヨモギをゆでてよくつぶし、草餅(くさもち)にしたり、フキを佃煮(つくだに)にしてきゃらぶきに、ヤマゴボウのようにみそ漬けにするなど、各地で加工品がある。また、最近は、山菜のゆでたものをパックして、保存ができるようにしたものも出回っている。
[河野友美]