中在家村(読み)なかざいけむら

日本歴史地名大系 「中在家村」の解説

中在家村
なかざいけむら

[現在地名]住之江区粉浜こはま一―三丁目・粉浜西こはまにし一―三丁目、住吉東粉浜ひがしこはま一―三丁目など

現住之江区の北東部に位置し、北は勝間こつま(現西成区)。村の東部を南北に紀州街道が通る。集落今在家いまざいけ村集落のやや北側に位置するが、村域は入組んでおり、両村がもと一村であったことに由来すると思われる。古代の当地付近は住吉浦または津守つもり浦の一部に属し、粉洲あるいは粉浜とよばれる海浜であったといわれる。粉浜の名は「万葉集」巻六に

<資料は省略されています>

みえる。この地が保元二年(一一五七)から応保元年(一一六一)かけて、源氏一族である駒井左衛門(兼綱)はじめ八名の者によって開発され、粉浜村と称するようになったという。それが享徳二年(一四五三)の全村火災ののちに中祭家なかざいけ・今在家の二ヵ村に分れ、明応三年(一四九四)中祭家村は中在家村に改められたと伝える(中在家村由緒記など)。なお字古屋敷ふるやしきの地が開発当時の集落跡と伝え、彼らの子孫は粉浜八家または祭礼仲間と称し、後世に至っても村の中堅に位置していたという(粉浜村誌)


中在家村
なかざいけむら

[現在地名]会津高田町松坂まつざか

みや川の上流左岸にあり、北西下谷しもや村、南はなか村。東対岸に小名中畠なかばたけ(中畑)がある。近世は会津領から寛永二〇年(一六四三)以降南山御蔵入領で、冑組に属した。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録に中之在家とあり、高二三石余。文化一五年(一八一八)の南山御蔵入領組村高帳では高二六石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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