日本歴史地名大系 「下野目村」の解説 下野目村しものめむら 宮城県:玉造郡岩出山町下野目村[現在地名]岩出山町下野目南沢(みなみざわ)村の北東にあり、村の中央を江合(えあい)川(荒雄川)が南東流し、右岸の平地部と左岸の丘陵地帯からなる。北西方は江合川上流の右岸で岩出山本郷、左岸で上野目村に接する。右岸丘陵地帯には縄文・弥生・古墳各期にわたる数多くの遺跡が存在、北からの影響を示す北大式土器を出土した続縄文(弥生)期の新田(しんでん)A遺跡・村山(むらやま)遺跡、川北分校(かわきたぶんこう)古墳などがある。古くは泉沢(いずみざわ)郷と称したと考えられ、応永二五年(一四一八)九月四日の鶯沢諸郷先達職預ケ状(白鶯山文書)に「上方八幡の禰宜殿あつくる分」として「いつミさハ」など三郷がみえ、これらの先達職が木仏に与えられている。永正一一年(一五一四)頃成立の「余目記録」によれば、観応の擾乱の影響をうけ、氏家三河守と合戦になった留守氏一一代家明の陣屋に、氏家方が馬を馳寄せ、留守家重代の太刀を逆様に突立てたところ、「岩手沢吉田の道場」の時宗の僧侶が飛入り、太刀を抜取ったという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by