下青木村
しもあおきむら
[現在地名]川口市青木一―五丁目・中青木一―五丁目・西青木一―五丁目・幸町一丁目・並木一丁目・上青木一丁目・上青木西一―二丁目
芝川を挟んで二軒在家村の西に位置し、平坦な村。北は上青木村。戦国期の成立と推定される市場之祭文写(武州文書)に「足立郡青木市祭成之」とあり、この頃には当地で市が開かれていた。田園簿では田七六二石余・畑一六〇石余で、ほかに野銭永五〇八文がある。江戸時代を通じて幕府領であったと考えられる(田園簿・改革組合取調書など)。元禄一〇年(一六九七)の検地帳(小用家文書)によると高一千一六石余、うち田六六三石余・畑屋敷三五三石余で、反別田九八町三反余・畑五一町六反余・屋敷六町三反余。
下青木村
しもあおきむら
[現在地名]城島町下青木、大川市下青木
上青木村の南に位置し、南は下林村(現大川市)、西は西青木村。中世は青木庄が成立。文禄四年(一五九五)の知行方目録では青木村の内。「寛文朱印留」に下青木村とみえる。本高は九四六石余(元禄国絵図)。「在方諸覚書」では古高一千三五〇石・役高一千一九二石余。享和二年(一八〇二)の春免高帳では高一千二〇三石。文化四年(一八〇七)の畝付帳では本田六五町八反余・開田二町三反余・畑田一反余・居屋敷九反余、ほかに七島(葭場)五反余。
下青木村
しもあおきむら
[現在地名]上田市大字蒼久保
神川下流東岸段丘上の村。東は上深井村(現小県郡東部町大字和)、西は神川を隔てて黒坪村、南は岩下村、北は上青木村と境をなす。
寛正六年(一四六五)より天正年間(一五七三―九二)にわたり、「青木郷」として諏訪社上社の頭役を奉仕し、また元和三年(一六一七)九月、田地の開発をしている(→青木窪林)。同八年には村高一二七貫七〇文(「信濃国小県郡上田領并河中島残物共高石帳」仙石文書)。宝永三年(一七〇六)の小県郡下青木村差出帳(上田藩村明細帳)には百姓総家数一八軒、人数男六〇人、女五〇人とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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