下馬村
げばむら
[現在地名]多賀城市下馬一―五丁目・笠神一―二丁目・伝上山一丁目・同三―四丁目など
留ヶ谷村の東に位置し、北方塩竈から張出した丘陵上に立地。永正三年(一五〇六)「下馬村三千苅」が郷古藤三郎に与えられ(四月七日「留守景宗宛行状」留守文書)、永禄三年(一五六〇)には村岡孫左衛門・松岡源内源左衛門・鎌田蔵人に各三千苅ずつが下馬村で与えられている(三月七日「留守顕宗宛行状案」大島正隆採訪留守文書)。元和六年(一六二〇)一〇月の伊達政宗黒印状(伊達家文書)に笠神野地・大城(大代)沼尻・下馬が沢野地の三ヵ所は五年間荒野として扱うが、その後は検地を行い役を課すとある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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