下黒谷村
しもくろだにむら
[現在地名]益田市黒周町
高津川の支流白上川に流入する二条川中流地域で、東は火打岩村、西は上黒谷村、北は城九郎村。地名は大道山が北にそびえて長い暗い谷になることに由来するという(石見八重葎)。江戸時代の支配の変遷は持石村と同じ。古高三〇〇石余、寛永一四年(一六三七)の検地高四六二石余(万手鑑)。正保国絵図では黒谷と記される。田畑作を主とし、副作として櫨・楮・麻などを栽培、上納は一二月限り津和野藩家中へ直払で持参した。旧道白杭峠・杉ヶ峠・カブ坂の険を越え氷雪をしのいでの運搬は難渋を極めた。当時の往還は津和野道を重道とし、中街道(萩道)を次道としていた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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