デジタル大辞泉
「高津川」の意味・読み・例文・類語
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高津川
たかつがわ
県西部を流れ、江川・神戸川に次ぐ県下第三位の川。山口県との県境に近い鹿足郡六日市町田野原の一本杉(樹齢一千年以上という)の根元に源を発し、六日市市街へ向けて西流、六日市町朝倉で蓼野川を合流して北に向かい、同町七日市で高尻川を合流、その後鹿足郡柿木村柿木の柳原で福川川を、同郡日原町枕瀬で津和野川を合流、益田市に入って横田付近で美濃郡匹見町に水源をもつ匹見川と合流、同市飯田町で白上川を合流して同市の高津町と中須町の境で日本海に注ぐ。流路延長八一・一キロ、一級河川で、高津川水系として九二の河川がある。中世までの高津川は現益田市の吉田平野を縦断し、今市(現益田市)周辺で益田川を合流して日本海に注いでいたが、元和三年(一六一七)津和野藩主亀井政矩は、高津川の河口を自領にもつため河道の付替工事を敢行し、益田川と分離して現在の河道が成立した(益田市誌)。名称の起りは柿本人麻呂を祭神とする柿本神社が高津(現益田市)にあり、ここを流れる川であることに由来するといわれる。なお高津の地名は元暦元年(一一八四)一一月二五日の源範頼下文案(益田家文書)や貞応二年(一二二三)三月日の石見国惣田数注文などに早くからみえ、河川名もこれにちなむと考えられる。上流部は古来の地名吉賀によって吉賀川ともいわれ、かつては匹見川との合流点までを吉賀川といったが、現在は津和野川との合流点までの呼称となっている。文明四年(一四七二)と推定される六月二六日の内藤弘矩書状(益田家文書)によると、石見守護山名氏は上黒谷(現益田市)まで軍勢を船で遣わしており、高津川が日本海とを結ぶ重要な交通路であったことが知られる。天保七年(一八三六)の洪水の際には、左岸にあった脇本村(現日原町)の鵜岩が流れの変化によって右岸となったという。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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高津川
たかつがわ
島根県西部を北流して日本海に注ぐ川。一級河川。延長81キロメートル、流域面積1090平方キロメートル。上流は吉賀川(よしかがわ)といい、山口県境の中国脊梁(せきりょう)山地の北面、吉賀町田野原(たのはら)に源を発し、西流して蓼野(たでの)川を合わせると北流に転じ、津和野(つわの)町、益田(ますだ)市内を貫流して日本海に注ぐ。益田市内では随所に河岸段丘を形成し、下流域では益田平野をつくる。上流の渓流では、ワサビ栽培が行われるほか、アユの漁獲で名高く、鵜飼(うかい)もある。支流の匹見(ひきみ)川には発電所がある。
[飯田 光]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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高津川 (たかつがわ)
島根県西部を流れる川。鹿足(かのあし)郡吉賀(よしか)町の旧六日市町の中国山地に源を発し,益田市高津で日本海に注ぐ。幹川流路延長81km,全流域面積1080km2。上流の旧六日市町と吉賀町の旧柿木村を流れる間は吉賀川と呼ばれ,同郡津和野町の旧日原(にちはら)町で津和野川と合流するが,ここまでの区間は蛇行を重ね,2~3段の段丘を形成している。さらに北流して益田市横田では匹見(ひきみ)川を合わせる。川筋は山陰と山陽を結ぶ交通路の一つで,国道187号線が流れとほぼ並行している。河流にはアユが多く,日原はアユ料理で知られる。河口の高津は柿本人麻呂をまつる柿本神社の門前町で,木工団地も立地する。
執筆者:池田 善昭
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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高津川【たかつがわ】
島根県西部の川。長さ81km,流域面積1090km2。中国山地北斜面に発して北流,津和野川,匹見川を合わせて日本海に注ぐ。上流に小盆地,河口に三角州平野がある。江戸時代にはアユ漁が盛んで,渡河には船が用いられた。アユ釣は有名。山地では木材,ミツマタを産し,ワサビを特産。
→関連項目日原[町]|六日市[町]
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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高津川
(島根県益田市・鹿足郡津和野町・吉賀町)
「島根の名水百選」指定の観光名所。
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
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