日本歴史地名大系 「原城跡」の解説
原城跡
はらじようあと
有明海に臨む岬(原の島・ハルの島、標高三一・五メートル)に築かれた中世の城館の跡。国指定史跡。史料上は
原城跡
さかきばらじようあと
北へ湾曲して流れる榊原川の中洲近くに突出た比高三〇メートルの丘陵上にあり、眼下に榊原村を一望する。旧小字名を
原城跡
ならばらじようあと
葛城山東麓、標高三二〇メートルの丘尾上にある。東・南・北は深い谷で、尾根は東方へ二四〇メートル余り細長く突出、段状に七つの郭が連なっている。台地の東北方に深い谷を隔てた小山の頂上は平地になっていて連郭があり、東・南・北に全長五〇〇メートルに及ぶ空堀の跡をとどめ、西端に三重堀跡がある。
楢原氏は大和六党の一つ南党で、すでに鎌倉時代末には伴田氏とともに春日若宮の祭礼に流鏑馬を奉納している(春日神社文書)。「国民郷士記」には「楢原山城楢原小太郎」とみえ、また「大倭武士春日大宿所勤番次第曰南等楢原大宿所五ケ年勤之葛上郡金剛山麓住三万石」(大和志料)とある。
原城跡
はらじようあと
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報