日本歴史地名大系 「与儀村」の解説 与儀村ゆーじむら 沖縄県:那覇市旧島尻郡地区与儀村[現在地名]那覇市与儀(よぎ)・与儀一―二丁目・寄宮(よりみや)・寄宮一―三丁目・樋川(ひがわ)一―二丁目・楚辺(そべ)二丁目・壺屋(つぼや)二丁目・長田(ながた)一丁目牧志(まちし)村・壺屋(ちぶや)(村)の南、東方識名(しちな)村に続く台地の西側斜面から西方泉崎(いずんざち)村に至る丘陵に位置し、小字与儀原(ゆーじばる)に集落が形成されていた。真和志(まーじ)間切所属。絵図郷村帳に「与儀村」とみえるが、琉球国高究帳には記載がない。康熙四五年(一七〇六)阿姓九世守包が真和志間切与儀村地頭職を与えられて与儀姓を名乗る(阿姓与儀家家譜)。 与儀村ゆーじむら 沖縄県:沖縄島中部沖縄市与儀村[現在地名]沖縄市与儀(よぎ)比屋根(ひやーぐん)村の南にあり、南は中城(なかぐしく)間切渡口(とうぐち)村(現北中城村)。与儀・比屋根と併称される。美里(んざとう)間切に属する。絵図郷村帳に「与儀村」、琉球国高究帳には比屋根村と一括されて「与喜村」とみえる。現在の上殿(いーどうん)や集落一帯にグスク時代初期の遺跡(与儀遺跡群)が存在することから、集落の発生はグスク時代までさかのぼると考えられる。里積記によれば田畑とも下の村位である。また虞姓与儀家家譜に康熙一三年(一六七四)「中村渠」から「与儀」に改名したとあることから、当村は中村渠(なかんだかり)村とも称されていた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報