日本の城がわかる事典 「与板城」の解説 よいたじょう【与板城】 新潟県長岡市にあった山城(やまじろ)。戦国時代の長尾家・上杉家家臣の直江氏の居城。直江氏はもともと同城から北へ約2km離れた本与板城を居城としていたが、天正年間(1573~93年)に直江実綱(のちに景綱)が与板城を築き、居城を移したといわれている。ただし、築城時期および移転時期は諸説あり、はっきりしていない。1578年(天正6)、景綱の養嗣子の信綱の代に上杉謙信が急死し、その後継をめぐって、上杉景勝と上杉景虎の2人の養子が越後を二分して争う御館の乱が起こった。景勝派に属した直江信綱は景虎派の本庄秀綱の栃尾城(長岡市)への備えと攻撃を行っている。同乱の収束後、信綱は恩賞に不満を抱いた毛利秀広によって春日山城で殺害され、信綱には嫡子がいなかったことから直江家は断絶の危機を迎えたが、樋口与六兼続(直江兼続)を迎えることで与板城は引き続き、直江家の居城として存続した。1598年(慶長3)、豊臣秀吉により上杉景勝は会津に転封となり、兼続も米沢30万石を与えられて国替えになった。これに伴い、与板城は廃城となった。現在、城跡には本丸、二の丸、三の丸、千人溜などの曲輪(くるわ)跡や堀切、竪堀などの遺構が残っている。JR上越線・信越本線長岡駅または見附駅からバスで与板仲町下車、徒歩20分。◇直江山城、直江城ともよばれる。 出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報