ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「上杉景虎」の意味・わかりやすい解説
上杉景虎
うえすぎかげとら
[没]天正7(1579).3.24. 越後
戦国時代の武将。北条氏康の子。幼名は国増丸。初名は氏秀。武田信玄の養子となったが,武田,北条の不和により帰国。次いで永禄 12 (1569) 年,北条氏康と越後上杉謙信和睦のとき,謙信の養子となり,謙信の幼名を受けて景虎と改名。天正6 (78) 年謙信の死後,同じく謙信の養子景勝と家督を争い,景虎は上杉憲政の北河館に拠り,北条氏政に援軍を求めた。氏政は武田勝頼に出兵を求めたが,景勝が勝頼に通じ,勝頼は景虎援助を中止したため,景虎は孤立して敗退し,越後鮫ヶ尾城に逃れて自害した。
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