天候に左右されず楽しむことができる相撲の常設興行館として、明治末期に東京・両国に開館。その後、関東大震災で火災に遭ったほか、約10万人の犠牲者を出したとされる米軍による東京大空襲で被災した。戦後は進駐軍が接収し、代わりの興行場所として蔵前国技館が利用される時期もあった。国技館は両国に再建され、1985年1月に落成式が行われた。
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…大鉄傘型ドームの新建築物は東京新名所として大評判を呼び,その後,大阪,京都,富山など各地に国技館が建てられた。両国国技館は関東大震災(1923),第2次世界大戦により被災,戦後,進駐軍に接収された。54年秋,浅草蔵前に,収容人員約1万1000人,体育館様式建築の国技館が完成した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」