東京大空襲(読み)とうきょうだいくうしゅう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

東京大空襲
とうきょうだいくうしゅう

第2次世界大戦中,1945年3月10日のアメリカ軍による東京の下町を中心とした地域に対する大規模な空襲爆撃ボーイングB-29を主力とするアメリカ陸軍航空隊の日本本土空襲は,マリアナ諸島に基地が完成した 1944年11月から本格化した。東京は 1945年3月10日,4月13日,5月25日の 3回にわたる大空襲を中心に前後 102回の空襲を受けた。3月10日午前0時8分から始まった空襲は,日本爆撃作戦の転機を画したもので,従来の軍事施設に対する昼間精密爆撃とは異なり,戦闘員・非戦闘員無差別の,木造家屋密集地帯に対する夜間焼夷弾爆撃であった。爆撃機約 300機が来襲し,約 1700tの焼夷弾を投下,10日早暁にかけて大規模な火災による旋風が発生し,東京の全建物の 4分の1が破壊された。8万人以上(一説には 10万人以上)が一夜にして焼殺され,100万人が家を失った。

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知恵蔵の解説

東京大空襲

太平洋戦争末期の1945(昭和20)年3月10日未明、東京の下町を中心に行われたアメリカ軍による大規模な空襲。東京への空襲は、44年11月24日から、サイパン島などのマリアナ諸島を基地とするB29爆撃機によって100回以上繰り返されていたが、いずれも日中に1万メートル以上の上空から軍需工場を目標とするものだった。しかし3月10日の大空襲は、深夜午前0時8分から2時間半にわたって、B29約300機(基地を出撃したのは325機、東京まで来襲したのは279機)が高度2千メートルという低空から侵入し、町工場と住宅地がひしめく市街地に爆撃を敢行。アメリカ側の公式見解では、「日本の中心部に集中している工業的および戦略的な目標を破壊すること」が目的とあるが、一般民衆への無差別爆撃で戦意を喪失させる意図は明らかだった。B29は、長時間燃焼するナパーム弾を江東区・墨田区・台東区にまたがる40平方キロメートルの周囲に投下し、火の壁で住民の逃げ道をふさいでから、その内側に1665トンの焼夷(しょうい)弾を投下。市街地は完全に炎の海と化し、26万8358戸が焼失。100万8005名が罹災し、死者は8万3793名、負傷者4万918名とされるが(警視庁調査)、実際の死者は10万名を超えると言われている。3月18日に焼け跡を視察した昭和天皇は、「これでとうとう東京も焦土となったね」と感想をもらしたという(加瀬英明『天皇家の戦い』)。
太平洋戦争中における日本側の死者数が東京大空襲に匹敵するのは、沖縄戦(45年4月1日の米軍上陸から6月23日の戦闘終了まで)の軍・義勇軍の死者10万人、県民の死者15万人(総人口の3分の1)、広島の原爆投下による12万人、長崎の原爆投下による7万人だけである。非戦闘員の一般市民を標的に大量殺傷を行う行為は戦争法規違反であるが、空襲から19年後の64年、日本政府は、爆撃計画を立案・指揮したカーチス・E・ルメイ司令官に航空自衛隊育成の功で勲一等旭日大綬章を授与している。毎年3月10日には東京都主催の追悼行事が東京都慰霊堂で行われているが、東京大空襲の記録を残すための施設は、国立にも都立にもなく、民間の「東京大空襲・戦災資料センター」があるだけである。

(秋津あらた ライター / 2009年)

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

東京大空襲

1945年3月10日未明、米軍のB29爆撃機約300機が東京の上空から33万発の焼夷(しょうい)弾を投下した。犠牲者は推定10万人。米軍の絨毯(じゅうたん)爆撃の始まりで、これ以降、名古屋、大阪、神戸などが大規模な空襲を受けた。

(2017-03-10 朝日新聞 夕刊 1社会)

東京大空襲

1945年3月10日未明、米軍のB29爆撃機約300機が東京上空から33万発の焼夷(しょうい)弾を投下した。犠牲者は推定10万人。米軍の絨毯(じゅうたん)爆撃の始まりで、これ以降、名古屋、大阪、神戸などが大規模な空襲を受けた。

(2018-03-08 朝日新聞 夕刊 1社会)

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デジタル大辞泉の解説

とうきょう‐だいくうしゅう〔トウキヤウダイクウシフ〕【東京大空襲】

昭和20年(1945)3月10日未明、米軍のB29爆撃機約300機による東京への大規模な空襲。死者約10万人、焼失家屋は27万戸に達し、下町一帯は焦土と化した。

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百科事典マイペディアの解説

東京大空襲【とうきょうだいくうしゅう】

太平洋戦争中,米軍の東京への空襲。爆撃は1942年4月に始まったが,1944年末からは休みなく来襲。1945年3月10日未明,襲来したB29の大編隊は無差別攻撃によって大量に爆弾・焼夷弾を投下,発生した火災は半時間足らずで下町地区全域に及び,焼失家屋26万戸,死者約10万人の被害を生じた。4月13〜14日には東京西部地域,5月24日には山の手地域,この3次にわたる大空襲によって東京の半分が焼け野原となり,300万人以上が罹災した。

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大辞林 第三版の解説

とうきょうだいくうしゅう【東京大空襲】

1945年(昭和20)3月10日未明、東京下町地区を中心としてなされた米軍の B 29 約三百機による空襲。夜間超低空からの焼夷弾絨緞じゆうたん爆撃により死者約一〇万人、焼失家屋約二七万戸に及び、下町一帯は焦土と化した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

東京大空襲
とうきょうだいくうしゅう

1945年(昭和20)3月10日未明の東京下町(したまち)地区に対する爆撃を中心とする、アメリカ軍の大量無差別の航空爆撃作戦。沖縄戦や広島・長崎への原爆投下と並ぶ太平洋戦争中の日本における大戦災となった。米軍機の日本空襲は開戦翌年の1942年4月のドゥリットル中佐指揮のB-25中型爆撃機16機による奇襲が最初だった。日本軍の連勝中に、太平洋上の航空母艦から発進し、東京・名古屋・神戸を攻撃して中国浙江(せっこう)省の基地におりたこの奇襲は、被害こそ少なかったが、日本軍部に大衝撃を与えた。
 本格的な本土空襲は1944年夏にアメリカ軍のマリアナ諸島占領によって始まった。日本本土がアメリカ軍の新鋭長距離超重爆撃機B-29の爆撃圏に入ったからである。アメリカ側は民間無差別攻撃によって日本国民の戦意をくじこうと、大都市に対する焼夷弾(しょういだん)爆撃を計画した。それに対する日本側の防空体制はいたって弱体なものであった。B-29は1944年11月24日、初めて東京を本格的に爆撃、同月29日には最初の夜間焼夷弾攻撃が行われ、以後、翌年にかけて敗戦の日まで連日のように空襲が続いた。9か月に及ぶ空襲は、延べ4900機により130回に及ぶもので、38万9000余発の焼夷弾と1万1000余発の爆弾が投下された。3月10日の大空襲は、ハンブルク爆撃(1943年7~8月)で有名なルメー少将の指揮によって準備された。下町地区がまずねらわれたのは、そこが家内工業の中心であり、日本の軍事工業を支えているとの認識がアメリカ軍にあったからである。午前0時8分から深川(ふかがわ)地区に始まったこの空襲の特徴は、夜間の超低空からのじゅうたん爆撃という点である。これは火災に弱い日本の都市構造や防空体制の弱点などをついたものであった。
 2時間半の爆撃によって東京下町一帯は廃墟(はいきょ)と化した。約2000トンの焼夷弾を装備した約300機のB-29の攻撃による出火は強風にあおられて大火災となり、40平方キロメートルが焼失、鎮火は8時過ぎであった。焼失家屋は約27万戸、罹災(りさい)者数は100万余人に達した。死者は警視庁調査では8万3793人、負傷者は同じく4万0918人となっている。資料によって差異が大きいが、「東京空襲を記録する会」は死者数を10万人としている。
 アメリカ軍はこの後、3月12日名古屋、14日大阪、17日神戸、19、20日名古屋、29日北九州、4月13日東京山手(やまのて)地区、15日東京・横浜・川崎と大都市への夜間空襲を続け、5月末の空襲ともあわせ、東京の市街地の50.8%が焼失し、国民の恐怖は極限に達した。その後、空襲は地方の中小都市へと移り、最後の空襲は1945年8月15日午前1時、東京西多摩郡に対して行われた。[青木哲夫]
『東京空襲を記録する会編『東京大空襲・戦災誌』全5巻(1975・講談社) ▽早乙女勝元著『東京大空襲』(岩波新書)』

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世界大百科事典内の東京大空襲の言及

【空襲】より

…45年に入るとマリアナ諸島の司令官にC.E.ル・メイ少将が新任され,大都市への夜間焼夷弾絨毯(じゆうたん)爆撃を開始した。3月10日には東京大空襲が行われ,300機のB29が東京の下町に1665tの焼夷弾を投下し,折からの強風もあって40km2を焼き払い,死者は約10万人に達した。つづく10日間に名古屋,大阪,神戸,また名古屋が焼夷弾で焼き払われた。…

※「東京大空襲」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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