日本歴史地名大系 「中之郷町在方分」の解説 中之郷町在方分なかのごうちようざいかたぶん 東京都:墨田区旧本所区地区中之郷町在方分[現在地名]墨田区吾妻橋(あづまばし)一―三丁目・東駒形(ひがしこまがた)一―四丁目・本所(ほんじよ)四丁目・押上(おしあげ)一―二丁目大川(隅田川)の東岸にあり、北を源森(げんもり)川(現北十間川)、東を横(よこ)川(大横川)が流れる。古くは須崎(すさき)村など三ヵ村を含め牛島(うしじま)四ヵ村と称されたという(風土記稿)。田園簿では「中ノ江村」とみえ、田九三三石余・畑八五石余、幕府領。幕末まで幕府領(旧高旧領取調帳など)。元禄一〇年(一六九七)に検地が行われた(風土記稿)。元禄郷帳では中之郷町とみえ、高四三四石余。正保年間(一六四四―四八)以降百姓地が武家屋敷・寺社地に与えられ、また古くから百姓商家が開かれていた中之郷元(なかのごうもと)町に加え、万治―寛文(一六五八―七三)頃からしだいに町屋ができ、正徳三年(一七一三)には中之郷を冠する元町・竹(たけ)町・八軒(はちけん)町・瓦(かわら)町・原庭(はらにわ)町・横川(よこかわ)町、五之橋(ごのはし)町(現江東区)、中之郷代地町の八ヵ町(反別一三町五反余)が町奉行支配となった(ただし年貢は代官支配)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by