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隅田川 すみだがわ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

隅田川
すみだがわ

別称大川,浅草川。東京都の東部を流れる川。全長 25km。奥秩父の甲武信ヶ岳に源を発し,関東平野を流れて東京湾に注ぐ荒川の下流部。北区の岩淵水門から河口までをさす。昔はシラウオ,コイを産し,水澄める大川として親しまれ,文化の中心であった。

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隅田川
すみだがわ

(1) 能の曲名。四番目物 (→雑物 ) ,狂女物。観世十郎元雅作。「角田川」とも書く。京都北白河の吉田某の子梅若丸が人買い商人に誘拐され,狂気の母が行くえを捜し武蔵の隅田川に着くと,梅若は前年病死,一周忌の供養を催すところであったので,母はいたく悲しみ,わが子の塚の前で念仏を唱えると子の亡霊が現れるというもの。

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デジタル大辞泉の解説

すみだ‐がわ〔‐がは〕【隅田川】

東京都東部を貫流する荒川の分流。北区岩淵で荒川から分岐する。墨田区鐘ヶ淵から下流をいうこともある。吾妻(あずま)橋から下流を大川ともいう。千住大橋から勝鬨(かちどき)橋まで16の橋が架かる。墨田川。角田川。
謡曲。四番目物金春(こんぱる)流は「角田川」。観世元雅作。人買いにさらわれた愛児梅若丸を狂い尋ねる母が隅田川の渡し守にその死を知らされ、墓前で弔うと亡霊が現れる。
芝木好子中編小説。昭和36年(1961)「群像」誌に発表。同年刊行の作品集「湯葉隅田川」に収録。「湯葉」「丸の内八号館」とともに自伝的3部作をなす。
(すみだ川)永井荷風の中編小説。明治42年(1909)、「新小説」誌に発表。同作を表題作とする作品集は、明治44年(1911)刊行。

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百科事典マイペディアの解説

隅田川【すみだがわ】

荒川の下流。東京都東部を南流し東京湾に注ぐ。一般に荒川放水路分かれる北区岩淵から下流をいう。吾妻(あづま)橋から下流はかつて大川,浅草川とも呼ばれた清流で,大川端は江戸,明治を通じて納涼,川開,花見など憩(いこい)の地であり,歌にもうたわれた。
→関連項目荒川元禄の大火千住宿

隅田川【すみだがわ】

(1)能の曲目。角田川とも書く。四番目物五流現行。シテは梅若丸の母(狂女)。人買にさらわれた愛児を尋ねて隅田川まで下った狂女が,わが子の墓前でそのまぼろしを見るという筋で,他の母子再会の狂女物に比べて哀傷深く,異例の悲劇的結末で終わる。
→関連項目秋夜長物語狂乱物現在能野口兼資ブリテン

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世界大百科事典 第2版の解説

すみだがわ【隅田川】

荒川下流の分流。東京都北区志茂の岩淵水門から下流を指し,下町低地を緩流して東京湾に注ぐ。一般には鐘ヶ淵(かねがふち)の屈曲部から下流部をいうことが多い。岩淵水門から河口までの流路延長23.5km。東側の墨田・江東両区と西側の台東・中央両区の境界をなし,近世初頭までは武蔵と下総の国境となっていた。古くは住田川,角田川,墨田川とも書き,須田(すだ)川,あすだ川,染田川,浅草川,宮戸(都)川とも呼ばれた。

すみだがわ【隅田川】

(1)能の曲名。流派により〈角田川〉とも書く。四番目物。狂女物。観世元雅(もとまさ)作。シテは梅若丸の母(狂女)。武蔵と下総(しもうさ)の国境にある隅田川の渡し守(ワキ)が客を待っていると,旅人(ワキヅレ)が来て,あとから女物狂いがやって来ることを知らせる。それは,わが子を人買いにさらわれて心が乱れた女で,京都からはるばる子を尋ね求めてこの東国まで来たのだった(〈カケリ等〉)。女は川辺の鳥を見て船頭に名を尋ね,それが都鳥だと知って業平東下りの故事を思い出し,わが身に引きくらべて遠い旅路を振り返り,感慨を催す。

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日本の地名がわかる事典の解説

〔東京都〕隅田川(すみだがわ)


東京都を流れる川。北区の岩淵(いわぶち)水門で荒(あら)川から分流、新河岸(しんがし)川・石神井(しゃくじい)川・神田(かんだ)川などを合わせながら都東部の区境をなして南東流し、東京湾に注ぐ。1級河川(荒川水系)。延長25km。江戸時代から物資輸送の大動脈として利用され、川開きの花火、屋形船などが江戸庶民に親しまれた。元は入間(いるま)川の下流だったが、1629年(寛永6)の瀬替え工事で荒川の本流となり、大雨時には利根(とね)川水系の流水も流入して洪水が頻発、1913年(大正2)に現北区岩淵町から東方に直接東京湾に流す全長22kmの荒川放水路の工事が着工され1930年(昭和5)に完成、1965年から放水路のほうが荒川本流とされた。なお、洪水対策として隅田川の両岸にはスーパー堤防が設置された。高度経済成長期には工場廃水や下水による水質汚染が発生したが、近年、水質は大幅に浄化された。河口近くには清洲(きよす)橋・勝鬨(かちどき)橋など多数の橋が架かる。浅草の吾妻橋(あづまばし)と竹芝(たけしば)の日()の出()桟橋(さんばし)間を水上バスが定期運航。7月に行われる花火大会が有名。古くは千住(せんじゅ)川・浅草(あさくさ)川・両国(りょうごく)川・大(おお)川などとの部分称があった。角田(すみだ)川・住田(すみだ)川とも表記され、漢語風雅称として墨水(ぼくすい)の名もあった。

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世界大百科事典内の隅田川の言及

【川開き】より

…7月中旬から8月上旬にかけて各地の河川で行われる。中でも東京隅田川の川開きは有名で,江戸中期以降趣向をこらした花火が人気を呼び,明治以降も多くの人出が見られたが,1962年に交通安全等の見地からいったん廃止され,のち復活した。江戸時代には陰暦5月28日に行われたが,この日は曾我兄弟の討死に関連して〈虎が雨〉の降るとされた日で,水にまつわる信仰を背景にして始まった行事なのであろう。…

【納涼】より

糺森(ただすのもり)も京都人の納涼の地だったのである。 江戸時代になると,京都の四条河原の納涼と,江戸の隅田川の涼み船とが納涼の好話題となる。江戸時代半ばころから,賀茂川の四条河原では流れの上に一面に腰掛けが設けられ,ここで足を水に浸して涼をとったが,それは旧暦の6月7日の夜から18日夜までおこなわれたという。…

【武蔵国】より

…橘樹郡では塩,荏原郡,葛飾郡の村の記事の中には海苔があげられている。豊島郡であげている鰻は,芝浦,築地鉄砲洲,浅草川(隅田川),深川辺で漁獲するものを〈江戸前〉と称し,ことに喜ばれたという。海産物に対して浅草川のウナギ,シラウオ,荒川のコイ,江戸川のコイ,フナ,ウナギ,ナマズ,中川のシラウオ,フナ,ウナギ,ナマズなどの川魚があげられている。…

【隅田川物】より

…歌舞伎,人形浄瑠璃の一系統。能《隅田川》を原点とする梅若伝説を扱った作品群をいう。観世元雅の作になる能《隅田川》がどういう素材に拠って作られたかは不明である。…

【人買】より

…室町時代の文学には人商人を内容としたものが多い。謡曲の《稲舟》《隠岐院》《隅田川》《桜川》《自然(じねん)居士》《千手院》《信夫》《唐船》《三井寺》《婆想天》などには人商人が登場し,子どもを誘拐し,あるいは買いとって僻遠の地に連れ去り,そのためにおこる親子別離の悲哀や再会が主題となっている。《隅田川》にシテとして登場する狂女は〈これは都北白河に年を経て住める女なるが,思はざる外に独子を人商人に誘はれて行手を聞けば逢坂の関の東の国遠き,東とかやに下りぬと聞くより心乱れつつ……跡を尋ねて迷ふなり〉と語る。…

【舟の内】より

…河東節と一中節の掛合曲。本名題《隅田川舟の内》。1723年(享保8)以前の成立。…

【ブリテン】より

…このオペラは各国語に翻訳・上演され,イギリスのオペラとして初めて国際的な名声を得た。最後の《ベニスに死す》(1973)に至るまでの14作のオペラは世界各国で上演されており,56年来日した際に鑑賞した能《隅田川》に基づく《カーリュー・リバーCurlew River》(1964)など小編成のオペラにも特色を発揮している。オペラ以外でも《青少年のための管弦楽入門――パーセルの主題による変奏曲とフーガ》(1945),《戦争レクイエム》(1961)なども世界的に演奏されている。…

【大和楽】より

…美しいメロディの曲が多く,二重唱,輪唱などの手法をとり入れるなどして変化をつけている。代表曲に《隅田川》(長田幹彦作詞,岸上きみ作曲),《あやめ》(長田幹彦作詞,宮川源司作曲),《団十郎娘》(邦枝完二作詞,宮川源司作曲)など。【竹内 道敬】。…

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