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中南米映画(読み)ちゅうなんべいえいが

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

中南米映画
ちゅうなんべいえいが

中南米諸国の多くの国では映画の製作と興行は古くからみられる。そのうち映画大国として名をはせるのは、南米のブラジル・アルゼンチン・チリ、中米のメキシコ、そしてカリブ地域のキューバである。
 南米で唯一のポルトガル語圏であるブラジルの映画は、無声映画時代から盛んに製作され、トーキーになった1930年代にはカルメン・ミランダCarmen Miranda(1909―1955)らの主演するミュージカル・コメディが人気を博し、その後もパロディやカリカチュアを盛り込んだ「シャンシャダ」という独特のミュージカル・コメディが流行する。1950年代には『リオ40度』(1955)のネルソン・ペレイラ・ドス・サントスNelson Pereira dos Santos(1928― )、『黒い神と白い悪魔』(1963)のグラウベル・ローシャGlauber Rocha(1938―1981)らが登場して社会的批判の鋭い作品を発表し、シネマ・ノーヴォとして注目を浴びる。だが、1964年からの軍事政権は若い映画人を弾圧し、幾人かが亡命する。1970年代には『未亡人ドナ・フロールの理想的再婚生活』(1976)などエロティック・コメディが流行する一方、アルナルド・ジャボールArnaldo Jabor(1940― )の『禁じられた裸婦』(1973)など優れた作品も発表される。その後、ヘクトール・バベンコHctor Babenco(1946―2016)の『蜘蛛女(くもおんな)のキス』(1985)、ヴァルテル・サレスWalter Salles(1956― )の『セントラル・ステーション』(1998)などが国際的に高い評価を受け、近年も『シティ・オブ・ゴッド』(2002)のフェルナンド・メイレレスFernando Meirelles(1955― )、『フランシスコの2人の息子』(2005)のブレノ・シルヴェイラBreno Silveira(1964― )、『スエリーの青空』(2006)のカリン・アイヌーKarim Ainouz(1966― )ら若い世代が活躍する。
 アルゼンチン映画は、無声映画時代から発展し、トーキー時代に入るとルイス・モグリア・バルトLuis Moglia Barth(1903―1984)の『タンゴ』(1933)の大ヒットや女優のリベルタード・ラマルケLibertad Lamarque(1908―2000)らのスター人気で興隆をみるが、1940年代からメキシコ映画が市場を席巻、また1955年の軍事クーデターで映画界は停滞する。1950年代末から『天使の家』(1957)のレオポルド・トーレ・ニールソンLeopoldo Torre Nilsson(1924―1978)や『苦い茎』(1957)のフェルナンド・アヤラFernando Ayala(1920―?)ら若い世代によるヌエボ・シネという動きが台頭して新しい映画を模索するが、1966年からの軍事政権下で抑圧され、フェルナンド・E・ソラナスFernando E. Solanas(1936― )らが亡命した。活況を呈するのは1983年の民政移管後である。ルイス・プエンソLuis Puenzo(1946― )の『オフィシャル・ストーリー』(1985)などが国際的に高い評価を受け、『フラミンゴの季節』(1997)のシーロ・カペラッリCiro Cappellari(1959― )ら若い世代も登場する。近年もファン・ホセ・カンパネラJuan Jos Campanella(1959― )の『瞳の奥の秘密』(2009)やナタリア・スミルノフNatalia Smirnoff(1972― )の『幸せパズル』(2010)などが高い評価を受ける。
 チリ映画も、無声映画時代から人気が高いが、最初のトーキーであるホルヘ・デラノJorge Delanoの『北と南』(1934)以降、記録映画が中心となり、1950年代まで劇映画は外国人の監督が多かった。その後、大学などが映画人の育成に努め、『三頭の哀れな虎たち』(1968)のラウル・ルイスRal Ruiz(1941― )、『ナウェルトロのジャッカル』(1969)のミゲル・リティンMiguel Littn(1942― )らが登場し、1970年の左翼政権の成立で活性化する。だが、1973年の軍事クーデターで弾圧され、多くの映画人が亡命して国外での活躍を余儀なくされる。民政移管した1989年以後、『独りぼっちのジョニー』(1993)のグスタヴォ・グラフ・マリーノGustavo Graef Marino(1965― )、『Bonsai~盆栽』(2011)のクリスチャン・ヒメネスChristian Jimenez(1975― )ら若い世代が登場する。
 その他、コロンビア映画はガルシア・マルケスの脚本によるホルヘ・アリ・トリアーナJorge Al Triana(1942― )の『死の時』(1985)や移民と麻薬問題を描いたジョシュア・マーストンJoshua Marston(1968― )の『そして、ひと粒のひかり』(2004、アメリカと合作)が知られ、ボリビア映画では『コンドルの血』(1969)、『最後の庭の息子たち』(2003)などホルヘ・サンヒネス・アラマヨJorge Sanjins Aramayo(1936― )率いるウカマウ集団が活躍する。ペルー映画はアルマンド・ロブレス・ゴドイArmando Robles Godoy(1923―2010)の『みどりの壁』(1970)以降、近年もフェルナンド・エスピノーサFernando Espinozaとアレハンドロ・レガスピAlejandro Legaspiの『夢のバスにのって』(1988)やクラウディア・リョサClaudia Llosa(1976― )の『悲しみのミルク』(2008)などが国際的に評価され、ウルグアイ映画ではフアン・パブロ・レベージャJuan Pablo Rebella(1974―2006)とパブロ・ストールPablo Stoll(1974― )によるユーモラスな『ウィスキー』(2004)が高い評価を受けている。
 中米のメキシコ映画は、無声映画時代は記録映画が主流だったが、トーキーになった1930年代から産業として興隆をみる。1940年代には成長産業として融資が活発化し、中南米に市場を広げて黄金時代を迎え、エミリオ・フェルナンデスEmilio Fernndez(1904―1986)やスペイン出身のルイス・ブニュエルらの作品が国際的に高い評価を受ける。1950年代に産業として凋落(ちょうらく)が始まり、1960年代には若い世代がヌエボ・シネという新しい試みを行う一方、『死の時』(1965)のアルトゥロ・リプステインArturo Ripstein(1943― )らが登場する。1970年代には国家援助もあって映画製作が一時盛り上がるが、その後は経済危機で沈滞し、1990年代に入って復調し、『アマロ神父の罪』(2002)などのカルロス・カレラCarlos Carrera(1962― )、『羅針盤は死者の手に』(2011)のアルトゥーロ・ポンスArturo Pons(1973― )ら若い世代が登場する。近年では『カクタス・ジャック』(2004)のアレファンドロ・ロサーノAlejandro Lozano(1975― )らが輩出する一方、『赤い薔薇(ばら)ソースの伝説』(1993)のアルフォンソ・アラウAlfonso Arau(1932― )や『アモーレス・ペロス』(1999)のアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥAlejandro Gonzlez Irritu(1963― )らは国外で活躍する。
 その他の中米諸国の多くは、歴史的に軍事独裁による不安定な政治状況が続き、映画産業はほとんど育っていない。各国内市場はアメリカ映画に占められ、比較的政情が安定していたコスタリカでも映画製作の中心は短編映画や記録映画である。1979年に独裁政権が崩壊したニカラグアの最初の長編劇映画はチリから亡命したミゲル・リティンの『アルシノとコンドル』(1982)である。
 カリブ諸国のキューバ映画は、無声映画時代から盛んだったが、国内市場はアメリカ映画が優位を占め、トーキー時代に入ると同じスペイン語圏のメキシコ映画が席巻する。1940年代には短編映画を中心に若い映画人が台頭するが、映画の発展は1959年のキューバ革命以降である。革命政権は映画会社を国有化し、キューバ映画芸術産業庁(ICAIC)を創立して映画産業の育成に乗り出す。1960年代には『いやしがたい記憶』(1968)のトマス・グティエレス・アレアToms Gutirrez Alea(1928―1996)や『ルシア』(1968)のウンベルト・ソラスHumbert Sols(1941―2008)、ドキュメンタリー映画のサンティアゴ・アルバレスSantiago lvarez(1919―1998)らが国際的に高い評価を受ける。また1979年にハバナ映画祭を創立して中南米の映画人と積極的に交流し、1980年代以降に大きな影響を与える。その後、激動期をのしあがった人物を風刺した『成功した男』(1986)のソラス、同性愛を描いた『苺(いちご)とチョコレート』(1993)のアレア、庶民の夢と現実を描いた『バスを待ちながら』(2000)のフアン・カルロス・タビオJuan Carlos Tabo(1942― )らベテラン勢が活躍する一方、『ビバ! ビバ! キューバ』(1999)のヘラルド・チホーナGerardo Chijona(1949― )ら若い世代が輩出する。
 その他のカリブ諸国ではあまり映画産業は育っていない。第二次世界大戦後の各国内市場は、フランス語圏のハイチを除くとアメリカ映画が優位を占めた。それでも若い世代から映画人が育っており、ジャマイカではペリー・ヘンゼルPerry Henzell(1936―2006)の『ハーダー・ゼイ・カム』(1972)が国際的な評価を受ける。[村山匡一郎]

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