出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…1737年にはメディチ家が断絶,トスカナ大公国はハプスブルク家に継承される。65年,大公となったレオポルド1世(のち神聖ローマ皇帝レオポルト2世)は法の下での国民の平等と自由を旗印に各分野で改革を行ったが,彼以後再び保守化する。99年からのナポレオン統治時代を経て,王政復古後トスカナ大公となったハプスブルク家のレオポルド2世は,ナポレオン時代の進歩的制度を保持し,トスカナ大公国の再興に寄与するが,1859年,リソルジメント運動の高まりのなかで退位。…
…1737年にメディチ家が断絶するとトスカナはオーストリアの支配下に入った。レオポルド1世の時代(1765‐90)にはフィレンツェはイタリアにおける啓蒙的改革の一つの中心となったが,都市生活に大きな変化はなかった。17世紀中葉の人口は約7万,19世紀初頭には約8万,トスカナのサルデーニャ王国合併の行われた1859年で約11万であり,かつて14世紀に築造された市壁の範囲で人々は生活していた。…
…1737年にはメディチ家が断絶,トスカナ大公国はハプスブルク家に継承される。65年,大公となったレオポルド1世(のち神聖ローマ皇帝レオポルト2世)は法の下での国民の平等と自由を旗印に各分野で改革を行ったが,彼以後再び保守化する。99年からのナポレオン統治時代を経て,王政復古後トスカナ大公となったハプスブルク家のレオポルド2世は,ナポレオン時代の進歩的制度を保持し,トスカナ大公国の再興に寄与するが,1859年,リソルジメント運動の高まりのなかで退位。…
…中世以来ヨーロッパで最も重要な由緒ある名門の王家(図)。
[オーストリア支配と世界帝国]
スイスとエルザス(アルザス)に所領をもつ豊かな貴族として,1020年にはスイス北部にハプスブルク城を築き,伯の称号をもっていた。大空位時代の混乱の後,始祖ルドルフ1世は,1273年ドイツ国王に選ばれ,競争者ボヘミア王オタカル2世からオーストリア,シュタイアーマルクを没収し,82年息子たちに授封し,初めて東方に家領を確保した。…
…しかし,保守派は旧体制への復帰を目標とし,急進的改革を目ざす民主派に弾圧を加え,彼らをフランスに亡命させた。一方,兄ヨーゼフ2世の死後を継いで神聖ローマ皇帝に即位(1790)した現実主義的なレオポルド2世Leopold II(1747‐92)は,改革の撤回を約してベルギー人をなだめるとともに,プロイセンの支持のもとに軍を送ってベルギー合州国を降伏させ(1790年12月),ブラバント革命は失敗に終わった。
…彼は1745年に皇帝に即位したため,トスカナは事実上オーストリアに併合された。その子ペーター・レオポルト(ピエトロ・レオポルド)が大公になると(1765‐90),トスカナは再び独立の公国となった。彼は農業の振興を企て,開墾を奨励して自作農の増大をはかり,行政機構の整備,封建的特権の制限,異端審問や死刑制度の廃止など,一連の啓蒙的政策を行った。…
※「レオポルド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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