中原市五郎(読み)ナカハラ イチゴロウ

20世紀日本人名事典 「中原市五郎」の解説

中原 市五郎
ナカハラ イチゴロウ

明治〜昭和期の歯科教育家



生年
慶応3年5月15日(1867年)

没年
昭和16(1941)年3月22日

出生地
信濃国(長野県)

経歴
岡田三百三に師事、明治22年歯科医術開業免許を取得。40年日本歯科教育会設立、共立歯科医学校設立、42年6月日本歯科医学校、同8月日本歯科医学専門学校(現・日本歯科大学)に昇格。大正5年メリーランド大学から最高学位を贈られた。昭和11年名誉校長、日本口科学会名誉会長、歯科医として日本初の区会議員当選。中原式咬合器の創案者で、歯科医教育と歯科医制に貢献した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「中原市五郎」の意味・わかりやすい解説

中原市五郎
なかはらいちごろう
(1867―1941)

歯科医、歯科教育者。信州(長野県)北下平に生まれる。上京して鋳造工、代用教員と苦学して歯科医学を修めた。1889年(明治22)歯科医術開業試験に合格。1907年(明治40)に日本歯科教育会をおこして会長となり、同年7月に私立共立歯科医学校を創立。1909年に日本歯科医学校と改称し校長に就任、1910年専門学校の指定を受けた(日本歯科大学の前身)。生涯、歯科教育のために尽くした。東京青山墓地に葬られた。

[本間邦則]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中原市五郎」の解説

中原市五郎 なかはら-いちごろう

1867-1941 明治-昭和時代前期の歯科医学者。
慶応3年5月15日生まれ。東京で歯科医学をまなび,歯科医術開業試験に合格。明治40年日本歯科教育会をつくり,共立歯科医学校(現日本歯大)を設立し,後身の日本歯科医専校長となる。中原式咬合(こうごう)器の創案者。昭和16年3月22日死去。75歳。信濃(しなの)(長野県)出身

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