朝日日本歴史人物事典 「中和門院」の解説
中和門院
生年:天正3(1575)
安土桃山から江戸初期の后妃。後陽成天皇の女御。後水尾天皇の生母。近衛前久の娘。名は前子。関白豊臣秀吉の養女として入内し女御となる。ここに南北朝時代以降中絶していた女御が復活した。清子内親王(鷹司信尚室),後水尾天皇,近衛信尋,高松宮好仁親王,一条昭良,貞子内親王(二条康道室)ら多くの皇子女を儲けた。後陽成天皇没後も制度上は女御のままであったが,3年後に院号宣下を受け,女院となる。皇子女の教育や,徳川秀忠の娘和子(東福門院)の入内,後水尾天皇の譲位など江戸幕府との間の諸問題の対応に心を砕いた。墓所は京都泉涌寺。<参考文献>『皇室制度史料 后妃』1・5巻,熊倉功夫『後水尾院』
(久保貴子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報