翻訳|optics
光に関する諸現象および光に対する物質の性質を扱う学問の総称。光を光線の集合と見て,その進み方や像の結び方を研究する幾何光学と,光を波動と見て,その物理現象を研究する物理光学(波動光学)に大別されるが,分光学,色彩論なども含めることが多い。このような意味での今日の光学は物理学の一分科にすぎないが,少なくとも17世紀までは,科学者ばかりか,哲学者や神学者さえもこの学問に取り組んだ。しかも,光学の名のもとに,反射や屈折だけではなく,視覚の問題や,場合によっては眼球の解剖学と生理学すら論じられたのである。
まず,古代には,数学者として知られるユークリッド(エウクレイデス)が光の直進性と反射を研究し,哲学者のアリストテレスも色彩の問題を論じた。さらに,天文学者のプトレマイオスも屈折についての研究を残している。視覚の問題もこの時代の人々によって論じられており,たとえば,アリストテレスによれば,光によって照明された透明媒体中を色彩が眼球へと伝播し,そのためにものが見えると考えられた。原子論者たちは視覚対象の皮膜が眼球に流入することによって視覚が生じるとした。また,この時代には,眼球から視線が流出するとする説も多くの人々によって唱えられた。
古代におけるさまざまな理論は中世のアラビアに伝えられ,それぞれの支持者を見いだすことになったが,この学問に最大の寄与をしたのはイブン・アルハイサム(アルハーゼン)である。彼は光の本性から眼球の構造までを論じた《視覚論(光学)》を著したが,この中で日常的な観察に基づく議論を展開した。たとえば,強い光は目を傷つけるという事実から,視線が流出するとする説をしりぞけ,光は透明媒体中を伝播する発光体や視覚対象の形相であると考えた。さらに,視覚対象が一つの形相を伝えるのではなく,その表面の各点があらゆる方向に形相を放出し,水晶体の前面に垂直に入射したもののみが知覚されるとした。この結果,水晶体前面に対象の正立像が形成されることになり,われわれの視覚を説明することに成功したのである。イブン・アルハイサムの説は水晶体を感覚器官とした点でまちがっていたが,この誤りも含めて,その後の光学研究者に受け入れられることになった。
中世ヨーロッパの光学はキリスト教の影響下に成立したと考えることができるが,たとえば,グロステストは光によってこの宇宙が創造されたとする〈創世記〉の哲学(〈光の形而上学〉)を構築した。この議論は光学そのものの発展に寄与することが少なかったが,多くの哲学者や神学者を光学研究へと向かわせたのである。事実,R.ベーコン,ペッカム,ウィテロのような哲学者がこの学問に取り組んだ。彼らは,発光体や視覚対象の〈可視的形象〉が周囲の媒体中に次々と増殖されることによって伝播するというグロステストの説と,イブン・アルハイサムの説を融合させ,中世独自の光学理論を打ち立てたのである。
このような状況を一変させ,光学を近代化するきっかけとなったのは,さまざまな光学器械の発明である。眼鏡は中世にすでに存在したが,17世紀初頭にこの眼鏡レンズから望遠鏡が発明され,これに続いて顕微鏡も作られた。望遠鏡はその発明直後に,ガリレイによって実用的なものに改良されたが,理論的研究のほうはケプラーとデカルトによってなされた。ケプラーはレンズによる結像理論を打ち立て,さらに,水晶体はレンズであり,網膜上に対象の倒立像が作られることによって視覚が成立することを明らかにした。デカルトは,自然現象を微粒子のふるまいによって説明しようとする当時の機械論的自然観に基づき,その著《屈折光学》(1637)で光をエーテルと呼ばれる微粒子からなる媒体中の圧力ととらえ,色彩をその粒子の回転によって説明したのである。また,反射と屈折に関しては,光をボールにたとえて説明した。彼の理論は,後年に問題となる光の波動説と粒子説の両面を備えていたといえよう。R.フックはこの波動的側面を発展させ,光をエーテル媒体中のパルスと考えた。さらに,ホイヘンスは発光体を中心とする波面の各点から二次的な波が球状に広がるとする〈ホイヘンスの原理〉を提出し,光の反射,屈折の法則を説明することに成功したのである。他方,ニュートンは太陽の光をプリズムによってスペクトルに分解し,それぞれの色の光は固有の屈折率をもつという重大な発見をした。彼はこの事実を光の粒子説によって説明したが,〈ニュートンリング〉の実験が示していた光の周期性には満足すべき解答を与えることができなかった。ニュートンによる光学上の諸発見とその粒子的説明は1704年の《光学》の中で公表された。ニュートンとフック,ホイヘンスのあいだには激しい論争がくりひろげられたが,ニュートンの粒子説は,すでにイギリスにおける科学者を代表するようになっていた彼の権威にあずかって,18世紀を支配することになる。
この光の粒子説に疑問を投げかけたのはT.ヤングであり,彼は1800年に,〈ニュートンリング〉や薄膜による光の干渉は波動説によってのみ説明できることを示した。この波動説はフレネルらによって整備され,複屈折や偏光なども光を横波とすることによって説明できることがわかった。その後,マクスウェルは,みずからの電磁理論から,光が電磁波であることを予言し,H.R.ヘルツがそれを実験的に証明した。
→光
執筆者:田中 一郎
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伝統的な物理の教育体系(力学、電磁気学、熱力学、振動・波動、光学)の一つであり、光の本質や光がかかわる自然現象、そして光を利用した装置開発などをおもな研究対象とする物理学の一分野。ここでいう「光」とは、おもに可視光、赤外光、紫外光のことである。
あらゆる光学現象は、光の量子性までを取り入れた量子光学で説明可能であるが、とくに量子性を議論しないのであれば、マクスウェルの方程式に基づいた波動光学で十分である。さらに、光の偏光状態や波としての回折の効果も無視できるのであれば、光の直進性のみを使った幾何光学の考え方による説明が便利である。
[久我隆弘 2015年6月17日]
幾何光学は、光の伝播(でんぱ)を光線という概念でとらえる。そして、光線が均質な媒質中では直進し、異なった媒質との境界面に入射すると反射・屈折の法則に従ってその方向を変えるという性質をもっていることを利用して、被写体の像をできるだけ正確に再現する方法を研究する。再現された像を見たときに、被写体を直接見たときとまったく同じである場合にはその像は理想的な像であるといい、このような像をつくった結像系を理想的な結像系であるという。もしも像が被写体と違っている場合には収差があるという。一つの波長の光、すなわち単色光でも検出される収差を球面収差、使用する光の波長により像のでき方が異なるために生ずる収差を色収差という。このように幾何光学は、被写体から放射され、または反射された光線により像をつくる方法を研究する。また、元の光線そのものではなく、被写体の像を再現するのに必要な情報だけを伝播するための新しい媒体として光を利用することができるようになってきた。これが広義の光学情報論であって、フーリエ結像論、ホログラフィー、画像情報処理論などが含まれる。テレビ放送、宇宙ロケットからの星の写真伝送などもこれに含まれる。なお、幾何光学を広義の結像論と解釈し、これらも幾何光学の研究対象に含めるようになってきた。
[石黒浩三 2015年6月17日]
マクスウェルの方程式から導かれる波動方程式を基本方程式とし、光を電磁場の振動(電磁波)として取り扱う学問分野。光の回折、干渉、散乱現象や、偏光状態など、幾何光学では説明できない現象、状態が説明可能である。さらに、光ファイバー、フォトニック結晶、メタマテリアルなどの人工構造体中での光伝播も、波動光学でなければ記述できない。
また、現実的な光のモデルとして、一つの軸(光軸)の周りに光のエネルギーが集中して伝播するという近似(近軸光線近似)を行ったものは、ビーム光学ともよばれ、レーザー光の伝播を記述するのに便利なのと同時に、幾何光学の素朴な拡張としての意味ももつ。
[久我隆弘 2015年6月17日]
電磁場を量子化し、光をエネルギー量子として取り扱う学問分野。1980年代後半から世界各国で盛んに研究が行われるようになった。波動光学、幾何光学を包含するが、自然現象のなかで説明するのに光の量子性(量子光学)が真に必要となるものは、黒体輻射(ふくしゃ)スペクトルと光の自然放出過程ぐらいである。しかし、21世紀に入ってからは、量子情報処理の観点からの研究が進展しており、将来的には光の量子性を利用した新しいデバイス(量子メモリー、量子コンピュータなど)や情報伝達手段(量子暗号、量子テレポーテーションなど)の開発が期待されている。
[久我隆弘 2015年6月17日]
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…ガリレイがその天文学や力学上の諸発見を発表した《天文対話》(1632)や《新科学講話》(1638)は,啓蒙的,教育的な性格を備えており,当時の国際的な学問用語のラテン語でなく,イタリア語で書かれていた。ニュートンの《プリンキピア》(1687)は例外だが,ニュートンの《光学》(1704)やラボアジエの《化学要論》(1789)が英語,フランス語で書かれたのも,教育,啓蒙と研究の一体感の現れである。
[発展]
近代科学は19世紀半ばごろまでほとんど大学に迎え入れられることがなかった。…
…光に関する諸現象および光に対する物質の性質を扱う学問の総称。光を光線の集合と見て,その進み方や像の結び方を研究する幾何光学と,光を波動と見て,その物理現象を研究する物理光学(波動光学)に大別されるが,分光学,色彩論なども含めることが多い。このような意味での今日の光学は物理学の一分科にすぎないが,少なくとも17世紀までは,科学者ばかりか,哲学者や神学者さえもこの学問に取り組んだ。…
…ウールスソープで初等教育を終えたのち,グランサムのキングズ・スクールに学び,1661年にケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジに入学した。当時のヨーロッパの大学では自然科学はほとんど教えられていなかったが,ニュートンはこの時期にデカルトの《幾何学》やケプラーの《屈折光学》を読んだ。さらに幸いなことには,ケンブリッジ大学にはルーカスHenry Lucas(?‐1663)によって〈ルーカス講座〉が創設されており,その初代教授としてバローIsaac Barrow(1630‐77)が就任し,数学や光学の講義がなされていた。…
…生涯については,はるか後年のパッポス(3世紀),ストバイオスStobaios,プロクロスProklos(Proclus)(いずれも5世紀)による断片的報告が知られているにすぎないが,それによるとおそらくアルキメデス,ペルゲのアポロニオスより少し年長で,アレクサンドリアで活躍していたことがわかる。数学上の多くの著書を書き,その中で《ストイケイア》《デドメナ》《光学》《反射光学》《音楽原論》《天文現象論》はギリシア語原文が残存している。そのほか,アラビア語,ラテン語の翻訳を通してのみ知られている小品や,散逸してしまった作品がある。…
…語源はラテン語のperspicere(明らかに見る)。中世ヨーロッパでは光学と同義に用いられた。狭義には線的遠近法あるいは透視図法と訳されるが(透視図),広義には絵画・浮彫などの二次元的造形表現における空間知覚の表現方法のすべてに適用される。…
…中世イギリスの自然哲学者,光学者,神学者。サセックス州の貧しい家庭に生まれたが,オックスフォードとパリで教育を受けた後,オックスフォード大学学芸学部でアリストテレスの《詭弁論駁論》《分析論後書》を講じた。…
…光はさらに〈第一の物体的形相〉と規定され,あらゆる自然的作用の根底にある原因とみなされた。ここに自然研究の基礎あるいは核心として光学が位置づけられ,R.ベーコン,ウィテロ,ペッカムらに光の科学的研究のエートスを提供した。 ルネサンスにおいて,新プラトン主義の復興にともない,光の形而上学的意義が強調されたが,近代になると,ニュートンの《光学》にみられるように,光を数理科学的な対象とみなす傾向が促進され,形而上学的側面はしだいに忘れ去られていった。…
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