朝日日本歴史人物事典 「中山文七(2代)」の解説
中山文七(2代)
生年:宝暦5(1755)
江戸中期の歌舞伎役者。俳名由男。屋号和泉屋。並木正三の甥という。初名伊八で子供芝居修業。23歳の冬上京し嵐猪八の名で大歌舞伎に出,2代目中山新九郎の養子となる。2代目来助を経て,寛政5(1793)年,39歳で2代目文七を襲名した。小柄ながら美貌,初代小川吉太郎風の和事で女性に人気があった。持ち味にピンとした強みがあり,世人は彼の演じる和事を「ピントコナ」と呼んだ。「鐘鳴今朝噂」(「いろは新助」)の新助,「伊勢音頭恋寝刃」の貢,今に残る「宿無団七時雨傘」の茂兵衛等の初演者。「心中重井筒」の徳兵衛の羽織落としの人気は語り草となった。晩年油店を開いたので「鬢付屋」の異名がある。なお文七の名跡は幕末まで5代を数えた。
(青木繁)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報