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ゴルチャコフ Gorchakov, Aleksandr Mikhailovich

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ゴルチャコフ
Gorchakov, Aleksandr Mikhailovich

[生]1798.7.15. ペテルブルグ
[没]1883.3.11. バーデンバーデン
ロシアの政治家,外交官。 1820~22年神聖同盟の諸会議で K.V.ネッセルローデを補佐したあと,外交官としてロンドン,ローマ,ベルリン,ウィーンなどに勤務。特にウィーンでは,クリミア戦争終結に向けて巧みな外交手腕を発揮した。 56~82年外相に就任し,ツァーリズムの積極外交を指導。当初フランスとの連合政策をとったが,63年のポーランド問題を契機プロシアとの接近策に転換。 70~71年フランスに対するプロシアの勝利後,パリ条約 (56) を破棄して黒海に艦隊を設け,73年にはプロシア,オーストリアとの間に「三帝同盟」を結んだ。 78年ベルリン会議において,ロシアの利益を十分に守ることができず,影響力を失った。

ゴルチャコフ
Gorchakov, Mikhail Dmitrievich

[生]1793
[没]1861.5.30. ワルシャワ
ロシアの貴族,軍人。 A.M.ゴルチャコフの兄。 1807年軍隊に入り,祖国 (ナポレオン) 戦争 (1812~15) ,露土戦争 (28~29) ,ポーランド独立革命の鎮圧 (30~31) に従軍,武勲をあげる。 46年ワルシャワ軍務総督に就任,49年ハンガリー独立運動に干渉軍を率いて介入。クリミア戦争 (53~56) では,A.S.メンシコフの率いるロシア軍の敗北が濃厚になった 55年,代って総司令官となり,セバストーポリ要塞の総攻撃を支える。戦後 56年ポーランド総督。

ゴルチャコフ
Gorchakov, Nikolai Mikhailovich

[生]1898.8.19. ペテルブルグ
[没]1958.8.28.
ソ連の演出家。モスクワ芸術座に所属し,K.スタニスラフスキーの指導を受け,『知恵ゆえの悲しみ』 (1925) ,『悪口学校』 (40) ,『森は生きている』 (48) など多くの作品を演出した。その著書『モスクワ芸術座の演劇修業』 Rezhissërskie uroki K. S. Stanislavskogo (50) は,助手としてスタニスラフスキーの演出に関係した際の,『フィガロの結婚』『装甲列車 14-69』など 10あまりの作品についての詳細な演出記録である。その他『演出についての対話』 Besedy o rezhissëre (41) ,『ワフタンゴフの演出課程』 Rezhissërskie uroki Vakhtangova (57) などの著述がある。

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百科事典マイペディアの解説

ゴルチャコフ

ロシアの政治家。1817年以来外交官として活躍,当時ヨーロッパ屈指の手腕家といわれた。外相(1856年―1882年)としてプロイセンとの接近策をとって三帝同盟を実現し,南下政策をとって露土戦争を起こしたが,1878年ベルリン会議でロシアのバルカン進出を阻止された。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

ゴルチャコフ Gorchakov, Aleksandr Mikhaylovich

1798-1883 ロシアの外交官。
1798年6月15日生まれ。名門貴族の出身で,1856-82年外相。東アジア関係では,清(しん)(中国)と愛琿条約,北京条約を,日本と明治8年樺太(からふと)・千島交換条約をむすんだ。1883年3月11日死去。84歳。

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世界大百科事典 第2版の解説

ゴルチャコフ【Aleksandr Mikhailovich Gorchakov】

1798‐1883
ロシアの政治家,外相,公爵。名門貴族の家柄に生まれ,1817年外交界に入る。56年外相に就任し,以後ほぼ30年の間ロシア帝国の侵略的外交政策を指導した。最初クリミア戦争敗北後のロシアの地位を向上させるため,フランスに接近したが,63年のポーランド反乱を契機にプロシアに近づいた。しかし露土戦争後のベルリン会議において,ロシアがバルカン進出を阻止されたことから,外相としての彼は一挙に権威を失った。一方,極東では清国との間に璦琿条約(1858)や北京条約(1860)を,また日本との間に樺太・千島交換条約(1875)を結んで,極東へ進出する足がかりをつくった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ゴルチャコフ
ごるちゃこふ
Александр Михайлович Горчаков Aleksandr Mihaylovich Gorchakov
(1798―1883)

ロシアの外交官。1820年代初頭より50年代なかばまでヨーロッパ諸国で勤務し、名声を確立した。56年より82年まで外相。初めクリミア戦争後のフランスとの友好関係をロシア外交の中心に置いたが、63年のポーランド反乱を機にプロイセンと接近を強め、73年にはドイツ、オーストリアと「三帝同盟」を結んだ。その後、ヨーロッパにおけるドイツの覇権を目ざすビスマルクと対立するようになったが、70年代末には影響力が低下した。東アジアでも清(しん)国と58年にアイグン条約、60年に北京(ペキン)条約を結んでロシアの膨張を図った。[原 暉之]

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世界大百科事典内のゴルチャコフの言及

【樺太・千島交換条約】より

…1875年5月7日,ペテルブルグで榎本武揚,ゴルチャコフ両全権の間で調印され,日露両国間の領土問題を解決した条約。同年8月22日批准,11月10日布告。…

※「ゴルチャコフ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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