中山胡民(読み)なかやま・こみん

朝日日本歴史人物事典 「中山胡民」の解説

中山胡民

没年:明治3.1.8(1870.2.8)
生年:文化5(1808)
幕末蒔絵師武蔵国葛飾郡(東京都)寺島村の名主金兵衛の3男。通称は祐吉。原羊遊斎に入門して蒔絵を学び,精巧精緻な技巧で知られた。のちに法橋に叙せられ,泉々と号す。江戸両国矢の倉に住み,のちに今戸に移る。嘉永・安政年間(1848~60)の自筆注文控「塗蒔絵控」「蒔絵註文控」によれば,櫛,硯箱,手箱,茶道具類を多く制作した。門人に小川松民がいる。東京向島の法泉寺に葬られる。<参考文献>『近代日本の漆工芸

(内田篤呉)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中山胡民」の解説

中山胡民 なかやま-こみん

1808-1870 江戸後期-明治時代の蒔絵(まきえ)師。
文化5年生まれ。江戸で原羊遊斎(ようゆうさい)にまなび,茶道,俳諧(はいかい)にもすぐれた。明治3年1月8日死去。63歳。武蔵(むさし)葛飾郡寺島村(東京都)出身。通称は祐吉。号は泉々。著作に「塗蒔絵控」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の中山胡民の言及

【蒔絵】より


[近代以後]
 明治維新によって主を失った御用蒔絵師は活躍の場もなく貧困にあえいだが,逆境に抗して蒔絵の伝統を守った。幕末から明治にかけては柴田是真,中山胡民(1808‐70)らが,明治になって川之辺一朝(1830‐1910),白山松哉(1853‐1923),小川松民(1847‐91)らの名工が出た。1889年には東京美術学校が開校し,漆工科が設けられ,その門から六角紫水らが輩出し,以後漆芸界の指導的立場を担った。…

※「中山胡民」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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