原羊遊斎(読み)はら・ようゆうさい

朝日日本歴史人物事典 「原羊遊斎」の解説

原羊遊斎

没年弘化2.12.25(1846.1.22)
生年:明和6(1769)
江戸後期の蒔絵師。江戸神田に住み,通称は久米次郎,更山と号する。その詳しい事績は伝わっていないが,『蒔絵師伝』の記事などによれば,羊遊斎の立場は一個の蒔絵師というよりも工房の主催者に近いものであったらしく,常に権門勢家に出入りし,中山胡民をはじめとする多く門人を擁して蒔絵作品の制作に当たったという。酒井抱一,鷹見泉石,谷文晁,大田蜀山人,7代目市川団十郎など,当時一流の文化人との交流も,その外向的な性格を物語るものといえよう。羊遊斎,あるいはその一派作風は,琳派風の装飾性豊かな意匠を,薄肉高蒔絵を基調にした伝統的な蒔絵技法で描き出したもので,その精細かつ華やかな表現は,江戸後期の多彩な蒔絵のなかでも際だって目をひく存在となっている。なお,今日,羊遊斎作と称する作品は,酒井抱一が下絵を描いたとされるものも含めて数多く巷間に伝わっており,いずれも「羊」「羊遊斎」「羊遊斎作」などの銘が記されている。それらの真偽の程は決し難いが,「行年六十一歳/羊遊斎」の箱書を持つ「片輪車蒔絵大棗」(静嘉堂文庫蔵),覆紙の注記から文政4(1821)年の制作と推定される「蔓梅擬目白蒔絵軸盆」(江戸東京博物館蔵)などを一応の基準作とみることができよう。<参考文献>『工芸鏡』

(小松大秀)

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改訂新版 世界大百科事典 「原羊遊斎」の意味・わかりやすい解説

原羊遊斎 (はらようゆうさい)
生没年:1769-1845(明和6-弘化2)

江戸時代後期の蒔絵師。通称久米二郎,別号更山。文化・文政年間(1804-30)ころ江戸神田下田新道に住し,蒔絵の名工として古満寛哉(こまかんさい)と並び称せられた。琳派の画家酒井抱一の下絵で製作することが多く,江戸趣味をあらわした印籠などの小品で知られる。門弟中山胡民がその技を伝えた。
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百科事典マイペディア 「原羊遊斎」の意味・わかりやすい解説

原羊遊斎【はらようゆうさい】

江戸時代後期の蒔絵(まきえ)師。神田に住み,俗称粂次郎,号は更山。光琳風の蒔絵をよくし,酒井抱一の下絵を用いた。江戸趣味を表した印籠などの小品が知られる。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「原羊遊斎」の解説

原羊遊斎 はら-ようゆうさい

1769-1846* 江戸時代後期の蒔絵(まきえ)師。
明和6年生まれ。江戸神田にすみ,琳派(りんぱ)風の装飾的な意匠と精細な表現で名工と称せられた。門弟に中山胡民がいる。弘化(こうか)2年12月25日死去。77歳。江戸出身。通称は久米次郎。別号に更山。

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