日本歴史地名大系 「中山越出羽道」の解説 中山越出羽道なかやまごえでわみち 宮城県:総論中山越出羽道奥州街道の黒川郡吉岡(よしおか)宿(現大和町)から分岐し、加美(かみ)郡中新田(なかにいだ)宿(現中新田町)―玉造(たまつくり)郡岩出山(いわでやま)宿(現岩出山町)を通り、玉造郡尿前(しとまえ)(現鳴子町)の関を経て出羽堺田(さかいだ)(現山形県最上郡最上町)に至る道。文献上にみえる名称は出羽海道で、御勝手帳(内閣文庫蔵)に伊達氏の「私領分出羽海道奥州玉造郡中山町より加美郡中新田町迄六ケ宿」とあり、また「安永風土記」に「出羽海道、岩出山より羽州新庄へ之道」などとみえる。六ヵ宿とは、中山・尿前・鍛冶谷沢(かじやさわ)(現鳴子町)・下宮(しもみや)・岩出山(現岩出山町)・中新田である。慶長六年(一六〇一)の伊達政宗伝馬黒印状(伊達家文書)によれば、すでに岩出山・中新田は、登米(とよま)(現登米郡登米町)・佐沼(さぬま)(現同郡迫町)・高清水(たかしみず)(現栗原郡高清水町)・宮沢(みやざわ)(現古川市)・松森(まつもり)(現泉市)・国分(こくぶ)(現仙台市など)などとともに宿場として整備されており、当街道も成立していたと考えられる。吉岡宿を出ると大沓掛(おおくつかけ)(現黒川郡大衡村)に至る。この地は軽井沢(かるいざわ)越出羽道(最上海道)との分岐点で、追分石には「大くつかけ 右なかにゐた 左ゆとの山道 吉岡下町」とあるが、現在最上海道のほうは、その道筋をたどることは困難である。沓掛を過ぎると足軽町が大(おお)村(現加美郡色麻町)にあり、さらに進んで間の宿である四竈(しかま)町(現同上)に入る。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by