20世紀日本人名事典 「中川克一」の解説 中川 克一ナカガワ カツイチ 明治・大正期の漢詩人 生年文久2年11月3日(1862年) 没年大正2(1913)年1月16日 出生地淡路国洲本町物部(兵庫県) 経歴家は代々学を以て名をなし、村長を20余年務めた惟一を父に生まれる。幼少より学を好み玉井竹堂に従い、のち肥前の楠本碩水、東京の川田甕江に学ぶ。明治22年東京麴町に私塾・日新学舎を設け広く子弟を招いて教育し、のち牛込に靖献書院を開いた。鳥尾小弥太と交わり保守中正派の機関紙「中正日報」の主筆も務めた。また学士・軍人・宗教家・政治家らと幅広く交流、晩年には乃木希典将軍とも親交があった。著書に「黄庵詩文」がある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中川克一」の解説 中川克一 なかがわ-かついち 1862-1913 明治-大正時代の漢詩人。文久2年11月3日生まれ。玉井竹堂(ちくどう),のち楠本碩水(くすもと-せきすい),川田甕江(おうこう)にまなぶ。東京で私塾日新学舎,靖献書院をひらく。鳥尾小弥太の保守中正派の機関紙「中正日報」の主筆もつとめた。大正2年1月16日死去。52歳。淡路(あわじ)(兵庫県)出身。名は別に升。字(あざな)は允中。号は黄庵。著作に「黄庵詩文」。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例