明治時代の軍人。陸軍中将。子爵。号は得庵(とくあん)。弘化(こうか)4年12月5日長州藩士中村敬義の長男に生まれ、のちに鳥尾姓を名のる。奇兵隊に入って戊辰(ぼしん)戦争に従軍。1870年(明治3)陸軍に入り、陸軍省軍務局長、陸軍少輔(しょうゆう)、同大輔(たいふ)、参謀局長、近衛(このえ)都督などの要職を歴任、廃藩置県や西南戦争に功績をあげたが、山県有朋(やまがたありとも)ら陸軍の長州閥主流と相いれず、1880年軍職を退いた。その後、統計院長、元老院議官、枢密顧問官、貴族院議員などを務めたが、その間1888年には保守党中正派を結成、雑誌『保守新論』を発刊するなど反政府的立場にたつことが多かった。明治38年4月13日死去。
[鳥海 靖]
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(田浦雅徳)
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明治期の軍人,政治家。長州藩士。得庵と号する。尊攘運動に参加し,戊辰戦争では鳥尾隊を率いて各地に転戦。1870年(明治3)兵部省に出仕,翌年陸軍少将となり兵学頭を兼ねる。次いで軍務局長,大阪鎮台司令長官,陸軍大輔,参謀局長,近衛都督,統計院長を歴任し,88年枢密顧問官となったが,病のため90年に退職した。88年には谷干城(たてき),佐々木高行らと保守的な中正党を組織し,機関誌《保守新論》を発刊して反伊藤博文派として行動した。《得庵全書》上下(1911-34)がある。
執筆者:後藤 靖
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