20世紀日本人名事典 「中川正平」の解説 中川 正平ナカガワ ショウヘイ 明治・大正期の製茶業者 生年弘化2年2月6日(1845年) 没年大正10(1921)年3月26日 出生地肥後国鹿本郡三岳村(熊本県) 経歴長じて生地・肥後鹿本郡三岳村から嶽間村に移ったが、嶽間村が山地で製茶・植林に適していたため製茶業の改善を志す。明治6年熊本県の震岳(山鹿市津留)山麓2ヘクタールに茶の木を植える。中国人を招聘して製茶法を学び、ついで内務技師に就いて紅茶の製造法を習得し、ウラジオストックに渡り販路拡張の視察・交渉を行った。川尻町に肥後製茶を興し社長に就任、また山鹿郡茶業組合長を務める。31年から可徳乾三と提携し紅茶を輸出し、34年熊本県茶業組合から功労表彰され銀杯を受けた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中川正平」の解説 中川正平 なかがわ-しょうへい 1845-1921 明治-大正時代の製茶業者。弘化(こうか)2年2月6日生まれ。明治6年熊本県の震岳(ゆるぎだけ)(山鹿市津留)山ろく2haに茶の木をうえる。紅茶製法をならい,31年から可徳乾三(かとく-けんぞう)と提携し紅茶を輸出。山鹿郡茶業組合長,川尻・肥後製茶社長。大正10年3月26日死去。77歳。肥後(熊本県)出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by